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才能を活かすことと、才能を活かし続けることの違い

 年月は、本人の認識や希望とは別に、勝手にどんどん過ぎていきます。そもそも高校野球というものは、自分よりも年上の世代が野球の技を真剣に競うものであり、テレビに出ているアイドルも俳優もその誰しもが見ている者の「こうなりたい自分」を投影していたはずが、いつの間にか同年代になり、下の世代になっていく。気がついたら自分が年齢だけは上になって、見下ろしているように見えても、活躍する若い世代からすればこちらは単なる中年ということになってしまう。

 もちろん、いま新星として期待されている若い人たちも、いずれ歳をとって中堅になっていきます。出始めの輝きを失わずにやっていける人たちが少ないのもまた事実です。でも、人生は長く、花の寿命は短い。一口に「善く生きる」といっても、才能を活かすことと、才能を活かし続けることの違いってのはあると思うんですよね。

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 趣味と仕事を兼ねてプロ野球を観ていると、長年頑張ってくださった選手がそろそろパフォーマンスも落ちてきたので引退を考えているという話に接します。ああ、彼ももうベテランだもんなあ、指導者のほうにいくのかな、と思ったりもする一方、よく考えたらベテランと評される彼のほうが私よりも年下だったりするのです。申し訳ない。先発ではやっていけなくなった投手が中継ぎに回る際に「彼もいい歳だから」というのはそのスポーツにおけるいい歳にすぎないわけです。でも、勝手に中堅だ、ベテランだ、ロートルだと評するんですよね。

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「応援したい若い人像」の物語を生きてしまう私たち

 で、その下から、若い世代が新星として現れる。最初は「うおー、平成生まれの怪物が」とか、おう、もう昭和も終わりなのかと思っていたら、その平成生まれの先陣はもうすぐ30歳で、いまは2000年生まれ以降のミレニアム世代とか言われるんですよ。次から次と、新しいキャッチフレーズを胸に抱いて、新しい人がどんどん出てくる。

 なんかこう、ピンとこねえよ。

 もう自分の息子ぐらいの年代の若者が大人相手に一線で頑張っている状態ってのは、物凄く頼もしく見える反面、おいおいまだ子供なのにとか、勉強大丈夫かと他人事ながら思ってしまう。また、もういい歳になっている中堅選手がパッとしないのを見て「ああ、もうくたびれてきたのかな」と思うこちらのほうが世間一般では充分に中年でありおっさんであり老害一歩手前か片足両足突っ込んでたりするわけですよ。

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 で、なんとか若い世代の子たちの活躍を澄んだ目で応援したくなって、活躍した子たちやその環境で指導してきたコーチや親のエピソードから「応援したい若い人像」を捻り出すための物語を探そうとするんです。

 必然的に共感するのは、そういう世代観だけじゃなくて、活躍する若い世代の人間味だったり苦労話だったりします。やれコーチと感情的にぶつかったとか、家庭が経済面で大変だったとか、そういう苦労話や人間味ある逸話が出てきます。これだ。等身大の人間、苦悩する若者の姿だ。天才だから周囲の理解がなかなか得られなかったとか。そういう普通と違う存在であるがゆえに苦労しつつも若くして活躍する人々に共感できるのだ、という余地を探そうと一生懸命になるわけであります。おっ、なかなかの、天才なのになかなか大変だったのだな、そういう共感のフックがあって初めて素直に「こんな優れた若い世代が出てきたのか、素晴らしい」とか「若い子の才能の芽を摘んじゃいけないな。親は自由にやらせて偉いな」などと勝手に物語を受け取って、必ずしも才能を発揮してきたとは言いがたい中年の心にスムーズに落ちていく、そういう仕組みがあるように思います。