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バブル時代が「最も豊かだった」
3つ目の仕事は請負での貨物運送業。軽のワゴン車持ち込みで大手運送会社の業務委託という形態だった。一般家庭の宅配、工場からの製品運搬などを担当していた。
「最初は儲けが薄くて、失敗したかなと思った。だけどバブルになったら月40万円以上の売上が続いた。自分史上で最も豊かだった」
ただし、自営業なので社会保険は自治体の国民健康保険と国民年金。当時は深く考えなかったが、今になって痛かったと思う。
バブル崩壊後は月の売上が20万円程度まで落ち込んだが1年ほどで反転し、何とか30万円ぐらい稼げていたので辞めようとは思わなかった。
「たまに新聞の求人広告を眺めることはあったけど、まず年齢で除外される。就けそうな仕事も限定されるので、このままでいいと思ったんです」
運送業は約18年続けたが、左眼が網膜剥離になってしまい、視力が落ちて視野も狭くなってしまったので、運転免許の更新ができず廃業することに。
「しばらくの間は派遣でしのいでましたね、日給は8000円ぐらいだった」
派遣仕事の合間にハローワークに通い、斡旋してもらったのが警備会社。契約社員の警備士で採用してもらい、主に工事現場で歩行者、車両の誘導を担当していた。
「60歳まで働いたけどお役御免だった。東日本大震災があったから、あちこちの工事が一時的に中断してしまって。仕事がないから辞めてくれということだった」