ガーナ人の父、日本人の母のもとアメリカで生まれ→浦和で育った子ども時代
ガーナ人の父、日本人の母のもと、鈴木はアメリカで生まれ、埼玉県の浦和で育った。5歳の時に兄の影響を受けてサッカーを始めた。GKになったのは幼少期から身長が高く、その高さを活かすためでもあったが、当時はフィールドプレイヤーになるための技術、能力が足りなかったからでもあったという。
母親は、「自立」という教育理念から、早くから自分のことは自分でやらせていた。
自分のスパイクは自分で磨き、ユニフォームは自分で洗濯をさせていた。食欲は旺盛でみるみるうちに体が大きくなり、浦和アカデミーで頭角を表した。浦和の守護神である西川周作から「スケールがでかい、とんでもないGK」と大絶賛された。
鈴木は浦和ユース在籍中、16歳5か月11日のクラブ最年少でプロ契約を結んだ。その後も、18歳ながら飛び級で東京五輪を戦うU24日本代表に選出され、森保一監督からも将来性と可能性を高く評価されていた。
そうして迎えたのが、アジアカップだった。
優しいがゆえにプレー中、厳しい声で注意ができなかった
大きな批判を浴びて傷心の鈴木をフォローしたのが西川だった。「彼が全ての試合に出て、ゴールを守り続けたということに意味がある」と今後の飛躍を期待するエールを送った。
その頃の鈴木は、潜在能力は高いが、それが十分に発揮できていない状態だった。課題とされていたのが、気の優しさがプレーに出てしまうという点だった。
子どもの頃から繊細で、人に気配り、目配りができる子だった。それは周囲から信頼される要因のひとつになるが、優しいがゆえにプレー中、厳しい声でなかなか注意ができなかった。
GKとして指示を出すことはできるが、リーダーシップを執るという部分が足りなかった。プレーはすごいのに気が優しい。ヒーローとしての二面性は合わせ持っているのだが、サッカー選手としては物足りなさがあったのだ。
