2026年7月15日、都内にて第175回直木三十五賞の選考会が開かれる。作家・蝉谷めぐ実氏に候補作『見えるか保己一』(KADOKAWA)について話を聞いた。(全5作の2作目)

第175回直木賞候補作『見えるか保己一』(KADOKAWA)

全盲の天才学者の心のうちに迫る

 デビュー作から題材としてきた江戸の歌舞伎から初めて離れた本作で、山本周五郎賞を受賞した蝉谷さん。実在の人物を描くことも初めてだった。なぜ塙保己一(はなわほきいち)を書こうと思ったのか。

「そろそろ新しい分野に挑戦しようと考えた時、最初に浮かんだのは平安時代だったんです。平安の着付けを学ぶ講座で、枕草子や源氏物語が現代に残っているのは江戸時代に塙保己一という学者が群書類従という叢書を編んで正しい形を残したおかげ、というお話があって。歴史の授業で習ったかも?くらいのあやふやな記憶でしたが、調べてみて彼が全盲であったことを知りました。目の見えない方が書物という研究分野を選ぶに至る心の動きに興味を引かれ、あれよあれよと、平安はひとまず棚上げに、塙保己一を書きたい気持ちが固まりました」

ADVERTISEMENT

 塙保己一は7歳で失明、15歳で江戸に出て国学を学ぶと持ち前の記憶力で頭角を現し、検校の位を得た。

「視覚を失うと他の能力が鋭敏になるのではないか、余人には見えないものが見えたからこそ偉業を残せたのではないか――『見えるか保己一』という題をつけた当初はそんな思いがあった気がします。でも、書き進めていくうちに自分が保己一を超人化していることに気づきました。その探求心、エネルギーはどこから湧いて来たのだろう、とひとりの人間としての保己一を考える時に、彼を超人と見なすと本質を捉え損ねてしまう。『見えるか』という問いは誰が誰に向けるものなのか。書きながら自分の中でタイトルの意味がどんどん変わっていくのを感じました」

 第2章以降は章ごとに保己一と他者のふたつの視点から描く構成をとる。妻、弟子、娘など身近で同じ状況にありながら、それぞれの思う“真実”は時に残酷なほど異なる。誰かと通じ合う喜びやすれ違う哀しみは、視覚の有無に限らない、人間同士の普遍のテーマだろう。

「例えば文字の書かれた紙が机の上に置かれていたとして、目が見えれば注意を引かれるのは“何が書かれているか”の内容だと思います。目が見えない方の場合はまず手触り。古いか新しいかの劣化具合、高い紙か安い紙かといった材質的なことが気になるはず。同じものを前にしても感じ取る情報が違うのは、この世界の色々なところで起きていることで、それを小説にしたいというのが私のスタート地点です。慣習やルールが移ろっても変わらない心の在り様を知りたい。この先どんな題材や時代背景を書いたとしても、それは揺らがないと思います」

 

蝉谷めぐ実(せみたに・めぐみ)

1992年大阪府豊中市生まれ。早稲田大学文学部演劇映像コース卒業。2020年『化け者心中』で第11回小説野性時代新人賞を受賞し、デビュー。21年に同作で第10回日本歴史時代作家協会賞新人賞、第27回中山義秀文学賞を、22年刊行の『おんなの女房』で第10回野村胡堂文学賞、第44回吉川英治文学新人賞を受賞。24年『万両役者の扇』で第15回山田風太郎賞を受賞。26年『見えるか保己一』で第39回山本周五郎賞を受賞。

(初出:「オール讀物」2026年7・8月号

見えるか保己一

蝉谷 めぐ実

KADOKAWA

2026年3月13日 発売

次の記事に続く 果てしなく遠い結婚までの道のり…凪良ゆう『多類婚姻譚』