2026年7月15日、都内にて第175回直木三十五賞の選考会が開かれる。作家・原田ひ香氏に候補作『#台所のあるところ』(文藝春秋)について話を聞いた。(全5作の4作目)

第175回直木賞候補作『#台所のあるところ』(文藝春秋)

台所から始まる人生の模様替え

 温かな空気に満ちたカバーをまとう本作は、台所を舞台に、世代も境遇も違う女性たちを描く連作短編集。どの一編にも登場する冷蔵庫が印象的だ。

「台所をテーマにとご依頼をいただいたとき、『それなら冷蔵庫だ』と一瞬で思ったくらい冷蔵庫が好きなんです。他にも一口コンロや中華鍋など出てくるのですが、全体を通しても冷蔵庫の登場回数が多くなりました。書いているうちに『この人が毎日食べるのはこれだから、こんな冷蔵庫なんじゃないか』とか、『若い人だったらこういう感じかな』などと自然に湧き上がってくる感覚が面白かったです」

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 6人の女性たちの共通点は、「誰かと生きることに一生懸命」ということ。そして、小さくても確かな変化を重ね生きようとしている。原田さんは、そこに物語のもうひとつの軸を見ていたという。

「仕事を辞める、母親であることを辞める、そんな大きな変化を起こすのではなくて例えば、思い切って欲しかった冷蔵庫に買い替える。孤独や家族との関係、先々への不安とそれぞれに苦しさを抱えながらも、自分の手の届く範囲で現状を良くしていこうと模索する人々の姿を描きたいと思いました」

 そんな本作は、ところどころに誰もがハッとさせられるような暗い気づきも描かれる。

 離婚後に4人の子供をひとりで育てる花絵は、訪問介護の仕事でヘトヘトになって帰宅してごはんを作っても、子供たちは「今日も揚げ物?」と勝手ばかり。大学受験を控えた長女は、元夫と連絡を取り、花絵を深く傷付ける心無い言葉を投げつける。大切なはずの我が子への怒りと諦念に翻弄された花絵はSNSのXを開き、作中に登場するドラマ「台所のあるところ」の#(ハッシュタグ)を検索して、キャラクターへの罵倒の言葉をひたすら追い続ける――。

 バラバラの場所でひとつのドラマを同時に観ながら感想をポストし合う、そんな新しい共有体験の形を、登場人物たちの境遇にうまく絡ませているのも読みどころのひとつ。

「小説やドラマなどフィクションの中で嫌な人間や悲惨な事件を読んだり観たりすることで、自分の中の何かを消化することはあると思うんです。花絵たちも現実の誰かを叩くのではなく、ドラマの中で作り込まれたキャラクターを『本当に嫌なやつだね』と言い合ってちょっとすっきりする。そんなダークな部分は、人間の中にどうしたって存在するものではと思っています」

 台所という身近な場所に潜む、人生の機微と小さな変革の物語が、静かに心に響く一冊だ。

 

原田ひ香(はらだ・ひか)

1970年神奈川県横浜市出身。大妻女子大学卒。2007年「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞を受賞。翌年、単行本『はじまらないティータイム』でデビュー。18年刊行の『三千円の使いかた』は100万部を超えるベストセラーに。「ランチ酒」「古本食堂」「東京ロンダリング」「三人屋」シリーズの他、『ラジオ・ガガガ』『一橋桐子(76)の犯罪日記』『喫茶おじさん』『月収』など著書多数。

(初出:「オール讀物」2026年7・8月号

#台所のあるところ

原田 ひ香

文藝春秋

2026年5月13日 発売

次の記事に続く 誰かとぶつかっている時にこそ、生きている実感が…若林正恭『青天』