2026年7月15日、都内にて第175回直木三十五賞の選考会が開かれる。作家・朝かすみ氏に候補作『けんぐゎい』(光文社)について話を聞いた。(全5作の1作目)
規格外の時代小説の誕生
時代を映す現代小説で読者を掴んできた作者が規格外の時代小説を書いた。
「デビュー当初からずっと時代小説を書きたかったのですが、真面目に受け取ってもらえなくて(笑)。やっと光文社の担当さんから『書いてみます?』とGOが出て、『藤沢周平みたいなの書くからね!』と意気込みました」
独特な語りの文体で編まれた物語は、ずっと親しんできたという古典落語や講談の延長線上にあるのかもしれない。
時は文化文政、江戸は本所。父親を早くに亡くし、疱瘡の痕が酷く残る容貌ゆえ、結婚子育てという“女の道”をはなから諦めているふゆ。だがその賢さを見込まれ、手習い所で読み書き算盤を習いながら、自分も教えるようになる。一方妹のりよは、興奮して饒舌が止まらなくなる「逆上(のぼ)せ」という質を持つが、器量がよいため奉公先の船宿の主人に手籠めにされ、妾になる。
「ルッキズム、セクシャル・ハラスメント、現代小説では非常に神経を使いますが、時代小説では踏み込んで描ける、と思っていました。愛読する岡本綺堂の『半七捕物帳』がいい例です」
ふゆは、手習い所の養子・宗三郎にひそかに惚れていた。顔が美しく、人当たりも良い、理想的な青年に見える。だが、誰に対しても優しい、という所に、ふゆは一種の冷たさを感じ取ってもいた。ふゆの自分への好意を十分知っている宗三郎は徐々に、「醜さに興奮する」という性癖を顕わにしてくる。
「『けんぐゎい』は、世間並みではない人間、圏外の者を指します。ふゆだけではなく、宗三郎も、りよも、ふゆの朋輩で男より腕力があるつるも、この小説に出てくる皆は悉く、です」
ふゆも、りよも、つるも、多くの女が、男や世間の荒波にもみくちゃにされ、信じられないほど残酷な環境を耐え、人生の路頭に迷っている。
しかし後半で、驚くべきカタルシスが読者を待ち受ける。当時の江戸で伝説上の人物となっていた半隠居の名女医に出会ったふゆは、彼女の承継者として、その医術を習得する。やがてふゆは「ガストホイス(病院)」という、妊娠した女らの駆け込み寺のようなコミュニティーを作る。つるも、りよも、姉妹の母はつも、はつが年若い男との間に儲けた息子も一緒だ。産みたければここで産み、育てられなければ子の欲しい親を見つけてやる。
「江戸時代って、結構すぐれた扶(たす)け合いのシステムが実際あって、独身の男性でも養子をとって親になれたんです」
正統派時代小説を目指したのに、産まれたのは、朝倉さん自身も読者も見たことがない、規格外にこの上なく悲惨、しかし熱い希望の宿る物語だった。
朝倉かすみ(あさくら・かすみ)
1960年北海道小樽市生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞を、04年「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞を受賞。05年、両作品を収録した『肝、焼ける』でデビュー。09年『田村はまだか』で第30回吉川英治文学新人賞を受賞。19年『平場の月』で第32回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『ほかに誰がいる』『満潮』『にぎやかな落日』『よむよむかたる』など多数。
(初出:「オール讀物」2026年7・8月号)

