働けど働けど借金まみれという奴隷労働

 のちに“燃える闘魂”として世界にその名を轟かせた兄・寛至。その土台となったのがブラジル時代の過酷すぎる経験なのは間違いないという。

「私たち家族が最初に入ったブラジルのコーヒー農場というのが、もう半端じゃなくひどいところでしたね。はっきり言って奴隷ですよ。もちろん当時、奴隷制はなくなってましたけど、奴隷の代わりに移民を働かせていたようなものでね。

 行く前は『ブラジルは常夏で一年中、毛布なんて必要ない』とか『2、3年働いたらまたすぐ日本に戻れる』なんて話でしたけど、とんでもなかった。兄貴はね、当時14歳でしたけど大人以上の背丈がありましたから、力仕事は人一倍やらされてましたね。コーヒーの実を取って袋に詰めるんですけど、その袋がだいたい60キロあるんですよ。その袋を放り上げてトラックの荷台に積み込むんです」

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写真はイメージ ©getty

 1日の労働を終えると、大量の汗が着ていたシャツに沁み込んでいる。シャツを脱いで床に置くと、そのままシャツが立った。汗の塩分が固まるのである。それだけに、日々の生活で塩分を摂取することも重要だった。そんな必須の塩分も、雇い主から支給されるわけではない。