アントニオ猪木を最も間近で見てきた実弟の猪木啓介氏。少年時代の意外なあだ名や力道山との奇跡の出会いなど、激動のプロレス人生の裏側を回想する。
さらに、生涯で最も特別な存在だった妻・倍賞美津子との、自身の浮気が原因となった痛恨の離婚劇の真相を『証言 アントニオ猪木 絶望と復活の闘魂人生』(宝島社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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あだ名は「ドンカン」
子供時代の猪木のあだ名は「ドンカン」だった。ドンくさい寛至、略してドンカン。
「それは日本にいた頃についたあだ名ですね。長男の寿一がつけたんですよ。兄貴はすごいのんびりした性格だったから。私も寿一に『らっきょう』なんて呼ばれてね。よく殴られました。
兄貴の性格は優しかったですよ。ケンカなんかするようなタイプではなかったですね。ただ、運動神経はよかったと思います。本人は運動神経がよくないって言ってましたけど、陸上で結果を出してますから。うちの兄弟は全員、運動をやってました。
陸上をやったり、空手をやったり、運動をしていないと変な目で見られるくらいでしたよ。だから兄貴がプロレスラーとして成功したのは、普通の人とは違う能力があったということでしょうね」
ルー・テーズの弟子になりたかった猪木
猪木がプロレスラーになったことも、力道山にスカウトされるという偶然の結果というだけではなかった。日本にいた時代から、プロレスは観ていたし、プロレスラーになりたいと言っていた。
「兄貴がプロレスラーになりたいという希望を持ってたのは、家族はみんな知ってましたね。陸上を頑張ってたのも、結果を出して有名になればプロレスラーになれるんじゃないかと考えたからなんです。オリンピックに出て名前を上げて、ルー・テーズの弟子になりたいと。実際には力道山の弟子になりましたけどね。兄貴はルー・テーズが好きでした」
猪木と力道山との出会いは、コーヒー農場を出て別の土地に移ってからのことだった。
