力道山との出会い

 58年11月の力道山のブラジル遠征の際、知人のツテで会わせてもらえることになり、猪木は試合会場に向かった。ところがその時は、力道山と会うことは叶わず、猪木は相当落胆したという。ただ、それで終わりではなかった。

 60年3~4月、2度目のブラジル遠征があったのだ。

「その頃は生活に少し余裕も出てきて、兄貴は砲丸投げの練習をするようになっていました。それで、陸上大会にも出場して優勝したんです。三男の快守が5000メートルと1万メートルで優勝。寛至が円盤投げで優勝し、大会新記録でした(砲丸投げは失格)。

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 兄弟でデカデカと新聞に載りましてね。それを見た力道山が会いたいとなった。少し前の記事だったんですけど、誰かが見せたんでしょう。それで『力道山が日本人の体が大きい陸上選手を探してる』という話をたまたま聞いて、会うことになったんです。本当に偶然が重なったんです。その時、我々はサンパウロに引っ越していたから、働いていた青果市場に話が伝わってきた。すぐに行けたから、力道山に会えたんです」

 猪木は運も持っていた。もしかしたら力道山に出会わず、プロレスラーにもならずに、ブラジルで暮らしていた可能性もある。あるいは、別のルートでプロレスラーになっていた可能性もある。それこそ、ルー・テーズに弟子入りして、アメリカでデビューしていたかもしれない。

「テーズは外国人レスラーの中でも別格に見えましたね。力道山がシャープ兄弟とか外国人をやっつけるというのが、もともとの日本のプロレスですけど、テーズは我々から見てもカッコよかった。何より強いしね。世界チャンピオンで、子供心に『この人がいちばん強いんだ』『力道山より格上なんだ』っていうのがあった。

 姉が結婚してアメリカにいたので、アメリカに渡ってプロレスラーになるというのも現実味がない話ではないんです。遠回りしたとしても、兄貴はいずれプロレスラーになっていたと思いますね」

 猪木は新日本の旗揚げ戦でカール・ゴッチと対戦。選手の育成も含め、猪木といえばゴッチというイメージが強いが、かつてテーズとゴッチについてこんなことを語っていたという。