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「そのタイミングで日本に帰って、拓殖大学に入って勉強する予定だったんです。ところが、その頃からいろんな騒動が起きていったんですよ」
折り畳みナイフを渡され…
騒動とは、猪木の日本プロレス除名である。日プロの体制を批判した猪木はクーデターの首謀者とされ、団体を追われることに。啓介は猪木の日プロ最後となった試合の会場を訪れていた。
71年12月7日、札幌・中島スポーツセンターで行われた馬場、猪木vsドリー・ファンク・Jr.、テリー・ファンクのタッグマッチだった。
試合会場にはユセフ・トルコの指示で行った。その際、折り畳みナイフを渡された。
何かあったらこれで兄を守れということだ。幸い、試合は何ごともなく終了。試合後の揉めごともなかったが、その後、猪木は入院という形を取り、以降、日プロのリングに上がることはなかった。
啓介の著書『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社)には、営業スタッフとして見てきた新日本初期の様子も記されている。印象深い場面の一つは、若き日の藤波辰巳(現・辰爾)が気の抜けた試合をした際、猪木が鉄拳制裁していたというもの。
啓介によると、猪木が手を上げることは稀だったが、試合は前座からしっかり目を光らせていたという。