のちに“燃える闘魂”として世界に名を轟かせたアントニオ猪木。その強靭な肉体と精神の土台となったのが、14歳で渡ったブラジルでの過酷すぎる経験だった。1日中働き詰めても借金が増える搾取、トイレットペーパーすらなく葉で拭く生活――。

 一番近くにいた実弟・猪木啓介氏が語る「知られざる兄の原点」と「ブラジル移民のリアル」を、新刊『証言 アントニオ猪木 絶望と復活の闘魂人生』(宝島社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

写真はイメージ ©getty

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アントニオ猪木を最も間近で見てきた男

 猪木啓介は、アントニオ猪木あるいは猪木寛至という人間を最も間近で見てきた人物の一人だ。実弟(11人きょうだいの末っ子)として猪木と幼少期を過ごし、1957年、ともにブラジルに移住。長じて旗揚げから新日本プロレスの営業担当を務めた。

 ブラジル時代、兄の砲丸投げの練習を手伝っていたのが啓介だった。新日本では旗揚げ戦(72年3月6日)、タイガー・ジェット・シンによる「新宿伊勢丹襲撃事件」の現場に居合わせ(73年11月5日)、第1回IWGP決勝戦での「舌出し失神事件」では救急搬送された猪木に付き添った(83年6月2日)。

「僕が知っている兄貴は、ファンや一般の人が見ているアントニオ猪木とは、本当に違う」

 そう言い切る啓介に、まずはブラジル移民時代から振り返ってもらった。