「控室のテレビ(モニター)でずっと観てるんですよ。選手たちがいい加減な試合をすると怒ってましたね。藤波選手を殴ったのは、他の選手がいる手前、しめしをつけるみたいな感じでした。そこには追放された日プロとの差別化を目指していたこともあるし、日プロで幹部批判をした兄貴が、最後の最後、馬場さんに裏切られたという思いもあったかもしれません。『今に見てろよ』というね。他の団体とは違うんだというのは見せたかったでしょうね。

 ただ、新日本には上田馬之助選手も上がってるでしょう。あの人は日プロを改革しようとした兄貴を幹部たちに密告してますよね。そういう人をリングに上げたわけですから。アントニオ猪木っていうのは根に持つタイプではないんですよ。基本的には、みんな仲良くという感覚だし、ついてくる人間、頼ってくる人間をむげにすることはないです。

『昔のことを言ったってしょうがない。前向きにいこう』っていうのがアントニオ猪木の考え方ですよ。自分も学ばなきゃと思いますね。馬場さんのことだって最期まで悪く言わなかったですから。昔話をすることはあっても、楽しい思い出だけでね」

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 そんな猪木も、かつて右腕だった新日本の“過激な仕掛け人”新間寿のことは最期まで許さなかったとされている。国会議員時代の93年にスキャンダルを告発され、そのわだかまりが消えることがなかったためだ。しかし、啓介の捉え方はやや異なる。

「新間さんはね、佐藤(久美子)という女性秘書と組んでスキャンダルを仕掛けた。それも拳銃を密輸させたとかね、そういう話にまで持っていったじゃないですか。『アントニオ猪木の伏魔殿』(徳間書店、2002年)という本まで出した。誹謗中傷のレベルまでいきましたから。ただね、新間さんに対してだって、兄貴から悪口を言うようなことはなかったです。『俺は会いたくねえよ』って、それだけしか言わない。

 私自身は新間さんとおかしな関係ではなかったので、話をしたり食事をすることもありました。それで新間さんが、兄貴にどうしても会わせてくれというので、会わせたこともありますよ。2回目の議員をやってる時期でした(13~19年)」