「これは兄貴の本にも書いてありましたけど、ゴッチさんは強いんだと。関節技だったり、素晴らしい技術がある。だけどプロフェッショナルとしてはルー・テーズが上だと。なぜかというと、ゴッチさんにはお客さんを楽しませる部分がなかった。テーズは自分の技を見せて、相手の技を受けて、お客さんを沸かせる試合をしていた。その点でルー・テーズは本物のプロだと言ってましたね。ゴッチさんは技術があるから、コーチとしては優秀なんでしょうけどね」
「今に見てろよ」という思いのこもった鉄拳制裁
60年4月、日本に戻り、力道山のもとでプロレス修行を始めた猪木。同期のジャイアント馬場はプロ野球出身の大型新人としてエリート扱いされ、対する猪木は雑草。
力道山にさんざんイジメ抜かれたという話が伝わっている。啓介は、兄から当時の話を聞くこともあったのか。
「兄貴は、そういう話はほとんどしなかったですね。ただ、今AIを使ってアントニオ猪木のアンドロイドをつくるっていうプロジェクトがありまして、そのために書籍とか資料を読み込んでいるんです。そこで知ったことも含めて私なりに考えると、力道山は兄貴のこともかわいがっていたと思います。
というのは、力道山は付き人が気に入らなかったらすぐに交代させるんですよ。付き人がどんどん代わるんですけど、兄貴はずっと付き人だったんですよ。力道山が亡くなる直前には、相撲部屋の親方が兄貴を褒めたそうですよ。『いい顔してる』って。そしたら力道山も『そうだろう!』と自慢げだったと。その瞬間に、兄貴もいろんな気持ちが晴れたって。殴られたり人前で馬鹿にされたり、いろいろあって恨んでたけど、その気持ちもなくなったみたいです」
啓介が日本に戻ったのは71年のこと。猪木と倍賞美津子の結婚式に参列する目的があった。