一番後ろの列からお客さんが少しずつ減りはじめた頃
おぐら 僕は以前、テレビブロスという雑誌で担当している連載企画で、Wikipediaにある大江千里のページを、千里さんご本人に添削していただいたことがありまして。
大江 もちろん覚えてます。今年の1月でしたかね。あれはおもしろかったなぁ。
おぐら 間違いもけっこうあって、ご本人直筆の赤字をそのまま誌面に載せたところ、雑誌の発売後にちゃんとネットのWikipediaも修正されていました。
速水 ご自身でWikipediaを見ることってあるんですか?
大江 ほとんどないです。でもたまに見ると、だいぶ偏ってるというか、「この歴史は削る」「ピークは『1234』(1988年)だ!」みたいなそれを書く人の強い個人的意図を感じますね。この前受けたあるインタビューでも、ライターの方に「大江千里のピークは『Rain』だと思うんですが、そのことについてお聞かせください」とかって言われましたから(笑)。「こうだ」っていうそれぞれの「思い入れ」は、あくまで個人のものでしょう?
速水 ではあえて聞きますが、ご自身ではいつがピークだと?
大江 勢いがあったのは、初めてアルバムでオリコン1位をとった『APOLLO』(1990年)かな。あの時に、次の『格好悪いふられ方』(1991年)でシングルヒットを狙うための助走もついてました。でもコンサートでは、一番後ろの列からお客さんが少しずつ減りはじめていて。
おぐら 最後列の客が減っているのって、ステージから見てわかるものなんですか?
大江 わかりますね。それは、どんどん増えていくのがわかるのと同じですよ。実際、そのコンサートも満員なんですよ。でも、よく見ると、前はもっとギューギューに入れてたよなって。そういう状況では、スタッフは走り続けるし、大ホールでやってた人間は小ホールには戻れないぞっていう雰囲気もある。だけど、そこに僕自身の音楽的志向はない。
速水 そういうことを考えるようになったのは、いつぐらい?
大江 90年とか91年くらいかな。
おぐら 世の中的には順風満帆に見えている時期ですね。
大江 一度、短期でニューヨークに行って帰ってきた時には、いきなりボビー・ブラウンみたいな髪型になってたりとかして。当時のメガネをかけてかわいい感じの僕が好きだったファンは、どう思ったんだろうなって。「千ちゃん、そっちじゃないよー」っていう感じだったのかなぁ。最近はそんなふうに振り返ったりしてますけどね。