一浪の末に山梨大学医学部に進んだ彼女を待っていたのは、セミやトカゲが迷い込む無人駅。鈍行に3時間揺られて東京の落語研究会へ通い、解剖実習で脳に触れたその手で、夜にはお笑いライブのマイクを握る日々。
昼は医学生、夜は芸人。その二重生活の果てに、5年生の冬に届いた一通の合格通知が、両親との関係を凍りつかせた。(全3回の2回目)
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――1年の浪人を経て、後期試験でみごと山梨大学医学部に合格しました。大学生活はどうでしたか。
ノムラ 山梨大学医学部は後期試験しかないので、第一志望じゃなく入学する人が多いんです。自分みたいに東大に落ちた人も大勢いて、仲間意識というか居心地のよさがありました。いい意味で変な人が多かったと思います。
――医学部は入ってからも大変だと聞きます。
ノムラ さすがに忙しかったですね。英語で解剖の授業があったりしましたし、当時の山梨大は「東日本で一番進級がきつい」って言われていて、本当に容赦なく単位を落とすんですよ。友達もたくさん留年しましたけど、留年したら親から絶対お笑いをやめさせられる。だから、進級ラインのギリギリだけは死守してました。
――そんな中、お笑いサークルにも所属していたんですよね。
ノムラ 東大の落語研究会です。インカレサークルなので他大学でも入れて、相方の王坂が1年前に上智大学に入って先に所属してたのでそこに合流しました。
――王坂さんはひとりでお笑いの活動をしていたんですか?
ノムラ その頃は王坂をだいぶ洗脳してしまっていたので、私を待ってくれてる感じでしたね。落研でも周りに私のことを「来年ネタを書けるすごいやつが東大に来ますよ、楽しみにしててください」って吹聴していたんです。ハードルが上がり切ってました。
――ところが、ノムラさんは東大に落ちた。
ノムラ そうなんです。2度落ちて、他大の医学部生として現れたわけです。だから最初は「すごいやつってこいつかよ……」みたいな空気で。あれは恥ずかしかったです。

