長野で五輪を語るなら、もう一つ思い出すことが…

 東京五輪(2021年)では招致をめぐる疑惑、開催費の膨張、コロナ禍での開催、そして大会後には汚職や談合事件まで発覚した。その余波で2030年大会を目指していた札幌市は招致を断念した。市民の反対もあった。だから、「もう五輪はいいよ」という空気が日本社会にはしばらく続くものだと思っていた。

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長だった森氏 ©時事通信社

 それだけに今回の長野の動きは驚いた。

 ただ、長野で五輪を語るなら、もう一つ思い出すことがある。「五輪とメディア」である。

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 今回、招致の動きを報じた信濃毎日新聞は、東京五輪では開催そのものに厳しい視線を向けた新聞でもあった。大手紙の多くはスポンサーという立場にもなり、東京五輪の神輿を担ぐ側にまわっていた。だから問題が起きるたびにどこかよそよそしかった。

 そんななか、信濃毎日新聞は2021年5月に「東京五輪・パラ大会 政府は中止を決断せよ」という社説を掲載し、大きな反響を呼んだ。開催中止を訴えたからよかったということではない。新聞社として堂々と「論」を述べたことがよかったと思ったのだ(それが本来の新聞だと思うのだが)。

 だが、その信濃毎日新聞にも忘れられない「過去」があった。

 1998年の長野五輪では、招致委員会の会計帳簿が焼却されるという、とんでもないスキャンダルがあった。地元紙には招致活動を十分検証できなかったという苦い経験があった。

 筆者は当時、「こうした過去があったからこそ、信濃毎日新聞は東京五輪に厳しい視線を向けられたのかもしれない。自分にとっても耳の痛いことを書く道を選んだのだろう。過去と向き合うことは、人間も新聞も必要だ」と書いたことがある。

 すると後日、信毎の論説主幹が雑誌『Journalism』に寄稿し、自らこう振り返っていた。

《私たちは長野五輪の「影」を県民に十分伝えられたのか、今でも忸怩たる思いを引きずっている。》

《招致段階でのIOC委員らへの接待疑惑は、招致委員会の帳簿書類が焼却される隠蔽もあって追及し切れず、検証できなかった。》