そのうえで、東京五輪を担当した論説委員は「県民、市民の視線にこだわろうと覚悟して書いた」と振り返っている。このコラムを書いた論説主幹は、メディアは公権力や巨大イベントの主催者など報道対象との距離を失い、一体化する危うさを常に抱えていると問題提起したうえで、最後にこう結んでいる。
《めくらましのように放たれる「光」に惑わされることなく、「影」を見つめ、そこに生きる人々のまなざしから報道し、論評しなければならない。私たちにとって未完の課題である。》
五輪を地域活性化の「起爆剤」として使うのはもう古くないのか
だから今回の長野招致の記事を読んで考えたのは次のことだ。もし本当に長野が再び五輪を目指すなら、信濃毎日新聞は今回も「影」を書き続けられるだろうか。
逆に、「地域活性化」「経済効果」「夢」といった言葉だけが先行し、「影」が見えなくなるようなら、東京五輪から何を学んだのか分からない。
そもそも、いくら若手経営者の夢だからといって、五輪を地域活性化の「起爆剤」として使うのはもう古くないのか。
その信濃毎日新聞は招致の動きをスクープした3日後、『「夢のある話」「やるべきなのか」』という見出しで再び特集を組んでいた。
歓迎する競技関係者や自治体の声だけでなく、「市民は物価高でぎりぎりの生活を送っている。そういう状況で五輪をやるべきなのか」という市民の声も紹介していた。そして、1998年長野五輪で招致委員会の会計帳簿が焼却された問題や、東京五輪で明らかになった汚職・談合にも触れている。
本当に招致へ動くのか、そして実現するのかは、まだ先の話だ。なので今後注目したいのは、招致活動そのものがきちんと監視され、その光も影も報じられ続けるかどうかである。この問いは地元紙だけに向けたものではない。五輪を報じる全国のメディアにも向けられている。