実の母と幼い頃に死別し、継母の態度に傷ついてきた泉ピン子が、ようやく肩の荷を下ろせた瞬間とは。泉ピン子著『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』(徳間書店)より抜粋して紹介する。(全4回の2回目/つづきを読む

泉ピン子 ©︎文藝春秋

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欠かさなかった母への仕送り

 芸人として名が知れるようになり、ドラマの話もいただくようになって、女優へと少しずつ舵を切っていった。

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 まだ売れてなくてキャバレー回りでギリギリの生活をしていた頃から続けていた、母への仕送りも欠かさなかった。当時は自分のアパートが7000円から8000円で、でも仕送りは毎月15万円、そのうち20万円に増やして……。

 普通、親って、子どもからの仕送りが入ってなかったら「あの子、苦労してるのかしら」って心配するもんじゃない?

 母はそんなのなかった。遅れると「入ってないわよ」って連絡があるのよ。

 ドラマだと、子どもからの仕送りが実は使わずに貯められていて、結婚するときに子どもの名義の預金通帳になってプレゼントされた、なんていう話があるけど、実際はもうまったくの噓。私はひたすらお金を送り続けていた。母からはハンカチ1枚、ううん、雑巾1枚だってもらいたくないという気持ちにすらなっていた。

 今、私の家にあるものはすべて、私が自分のお金で買ったもの。それは誇りでもあるし……。何も親からもらっていない、ということでもある。

美輪明宏さんが教えてくれた「母が私を憎んだ理由」

 私が芸能界でそれなりの結果を出した頃、美輪明宏さんに、母の話をしたの。どうして母はあんなに私をいじめたんだろうって。すると美輪さんは言った。

「馬鹿ね、ピン子ちゃん。あんたはお母さんにそっくりなの。母親似なのよ。だから継母は面白くないの。あんたを見てると悔しくなって、いじめちゃうのよ」

 なるほどなって。もうすべてわかったわ。なぜあの人が私を憎かったのか……。

 私が逆の立場でも、そうだったろうなとも思うもん。実際、若いときの実母の写真を見たら、私そっくりなのよ。

 素直には思えないけど、継母にも感謝はしてる。

「どうやったらこの女のところから出て行けるか」って考えて芸を頑張ったし、「こんな女の世話にはならない」って思って自立した。それはある意味、母のおかげで今の私があるとも言えるでしょ。