泉ピン子が「ママ」と慕い続けた脚本家・橋田壽賀子が2021年に亡くなった。実の母娘のようだった“ママ”の死後、『渡る世間は鬼ばかり』の仲間は誰も訪れず、週刊誌には心ない見出しが踊った。だが、そんな彼女を支えたのもまた“ママ”が遺した言葉だった。
泉ピン子著『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』(徳間書店)より抜粋して紹介する。(全4回の4回目/最初から読む)
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“ママ”橋田壽賀子さんとの別れ
残念ながら、歳を取ると悲しいことも増えるよね。共に生きてきた人たちが、だんだんといなくなっていく。これは何度経験しても慣れない。
とりわけ、母のように慕った橋田壽賀子さん、ママとの別れは本当に身を切られる思いだった。ご存じのとおり、私から橋田壽賀子を取ったら、何も残らないのよ。
亡くなる直前に、危ないと聞いて駆けつけて、「ママ、あたし!」って声をかけたら、こっちを向いたの。それが最期。私は、ずっとママの足をさすってた。
ママの家には、私が長年にわたって書いた手紙が全部残ってた。100通は下らなかったわ。最初は「橋田壽賀子先生へ」。それがいつからか「ママへ」になって。
ママから私へもたくさん手紙が届いたのに、私はほとんど捨ててしまった。まるで本当の親子よね。これが家族じゃなきゃ、一体何だっていうのよ。
ママの一周忌、三回忌も私がした。ママの意向で、質素なもので。それで、社長のいる前で骨をもらいますと言って、遺骨をもらってきたの。
めちゃくちゃに書かれた「散骨の話」
4月に亡くなって、6月にママの骨と一緒に客船「飛鳥」に乗った。飛鳥の人たちは白い花や日本酒なんかも用意してくれて、瀬戸内海を通ってちょうど熱海沖のあたりで散骨をしてくださったの。9月に遺品の腕時計を入れてあげようとママのお墓に行った。山を越えて、ママに持ってきたよって言って。ついでに杉村春子のお墓も掃除してきた。
だけどそれも、週刊誌にはめちゃくちゃに書かれてね……。
「35万円じゃない、もっとお金をかけた」とある人が言っていたとか、「泉ピン子は骨なんか持ってない。魚の骨でも撒くのか」だとか。
それはないだろうって……。失礼にもほどがあるわよ。誰が母親を亡くしてわざわざ船に乗って魚の骨を撒く? その場にいた人に聞いてもらえばいい。私が言ってないことを勝手に書いたりしないで、誰かに確認してから記事にしたらいいじゃないの。
だけどそれを私が違うなんて言ったところで、またゴタゴタになるだけ。そんなのファンの方や見てくださる方に申し訳ない。
