「ピン子、一流になんかなっちゃダメよ」「あんた、熱海に越しといでよ」――橋田壽賀子の一言で、泉ピン子の人生は何度も動いた。
血はつながっていなくとも「ママと娘」以外の言葉では言い表せない、ふたりの間にあったものとは。泉ピン子著『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』(徳間書店)より抜粋して紹介する。(全4回の3回目/続きを読む)
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ママと娘、一度だけの「絶交」
私を「女優」として引き上げてくれて、たくさんのドラマで一緒に仕事をして、事務所トラブルのときも支えてくれた大恩人のママだけど、一度だけ「絶交」したこともある。
「もう『鬼』には出ません。セリフが長すぎて迷惑をかける。私だって、もう70歳なんですから」と弱音を吐いたら、「90歳の私が書いてるのに……。わかった、絶交だ!」と本気で言われた。
こっちも売り言葉に買い言葉で、「わかった!」と電話を切った。
うちの電話にはママの番号が登録してあって、かかってくると「橋田壽賀子さんからお電話です」としゃべるようになっているんだけど、そのあとしばらくは、わざと出なかった。お互い頑固者だからね。
でも最終的には、局のスタッフが間に入ってくれて仲直り。結局、最後まで「ママ」と「娘」の関係のまま終わった。
私が熱海に移住したのも、ママの「あんた、越しといでよ」という一言がきっかけ。当時私は東京暮らしで、正直言うと熱海は好きじゃなかったの。都会の真ん中で育ったから。
でもママが脚本を書いたドラマで、アメリカの田舎の、アリゾナのロケ地に長く滞在したことがあったのよ。そこでふと熱海を思い出したら、「あら、あっちはまだ都会だわ」と(笑)。
「ママもいるし、そう悪くないか」と思えてきて、夫と一緒に物件を見て、海の前のマンションを買った。ママは「お金は貸してあげるから、1軒持っときなさい」とまで言ってくれた。
