何度も防空壕に避難した

 早朝五時にキーウに着き、ホテル・キーウに向かった。ホテルに着くと早速、空襲警報だ。事前に公用携帯電話にインストールしていた二つの警報アプリは何度も発動したし、ホテルの館内放送でも警報発令が何度も伝えられ、そのたびに、階段を下りて地下の防空壕に向かった。防空壕は殺風景で、大量のペットボトルの水が備蓄されていた。ホテルの近くの茂みに地対空ミサイル「パトリオット」が二基あって、直撃の確率は軽減されているが、迎撃したミサイルの破片などでの被害は覚悟した方がいいと聞いていたので、素直に避難した。

パトリオット・ミサイル

 ウクライナ財務省に向かい、親友のセルヒー・マルチェンコ財務大臣達と、初めての日・ウクライナ財務協議を行った。政府の庁舎周辺の車道には、まっすぐに進めないよう随所にバリケードが置かれ、庁舎の入口や廊下には土嚢が積まれていた。一時、首都陥落のリスクがあったわけで、未だ、その緊張感が残っていた。セルヒー達と二時間、真剣に政策を議論し、極めて有意義な結果が成果文書にまとめられた。

 会議後、史上初の成果文書を公表できたが、非常に活発な議論の結果、様々な政策協力の合意が含まれる内容となった。私の三つの当初の出張目的、即ち、日本からウクライナへの揺るぎない支援を明確にすること、支援を効果的、効率的にするため現場の状況を把握すること、そして、二〇二三年のG7議長国としてウクライナ支援を主導するための知見と正当性を確保することは十分、達成できた。

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著者の神田眞人さん

 その後、ユリヤ・スヴィリデンコ第一副首相(その後、二〇二五年七月に首相に昇格)など要人に面会し、また、ロシアに襲撃され、多数が虐殺されたブチャを訪れた。ブチャ市長や聖アンドリーイ教会の司祭に案内され、悲惨な現状を目にした。犠牲者の慰霊碑に献花しつつ、不正、不法を許さず、正義を回復すべきであり、決して暴力が支配する時代に戻してはならないという思いを新たにした。キーウへの帰路、首都まで二十キロに迫ったロシアの戦車の進攻を止めるために爆破した橋梁など、戦争の傷跡を感じる場所も案内してもらい、当時の緊迫した状況を想像した。

 キーウから夜行列車でポーランドに戻り、同国のマグダレーナ・ジェチコフスカ財務大臣等と面会して帰国した。当初は、対ロシア最前線のリトアニアとモルドバに回ることも考えたが、国内での急務が蓄積したため、この両国に行けたのは一年後の二〇二四年六月となった。

世界金融秘録

神田 眞人

文藝春秋

2026年3月26日 発売

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