17歳で突然のスカウト→芸能界へ

 沢田研二擁するザ・タイガースも出演していたミナミのジャズ喫茶「ナンバ一番」に出入りし、飛び入りで歌っていたのが17歳のとき。ここで和田をスカウトしたのがホリプロの創業者・堀威夫である。少し長くなるが、堀の感想を引用する。

「私は和田アキ子を一目見て、背中がゾクゾクッとした。リズムののり、そして、そのすさまじい迫力……。私は戦慄を覚えた。歌は下手ではないが、しょせんは素人芸。歌唱力だけならもっとうまい者はいくらでもいる。

 だが、彼女が舞台でうたい出すと、それまで踊っていたお客がステップを止めて、じっと歌を聞きはじめるのだ。踊りにきているお客のステップを止めさせ、自分の歌を聞かせてしまう迫力、このリズム感は天性のものである。しかも彼女は専属の歌手ではなく、飛び入りでうたわせてもらっているのだ。

 私はひさしぶりに『大物』にめぐり会った気がして、彼女をスカウトすることをその場で決心した」(堀威夫『才能を育てる』講談社)

 歌の上手さではなく、周囲を振り向かせる迫力とタレント性に堀が惹かれていたのがよくわかる。当初は気乗りしなかった和田だが、堀の熱意に負けてホリプロ入りを承諾。そのまま上京した。

「マーガレット和田」としてデビューするはずが…

 この頃のホリプロは、ザ・スパイダースを筆頭に数々のグループ・サウンズ(GS)のバンドを擁して躍進していた。しかし、堀はGSブームの先を見越して「本物志向」のタレントを探しており、そこで目に止まったのが和田だった。

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 当初、堀は和田をアメリカで売り出そうとして和田に英語のレッスンを課し、芸名も「マーガレット和田」に決まりかかっていた。和田もその気になり、二重まぶたと胸を大きくする整形手術を受けようとしていたが、急転直下、堀によって本名に近い「和田アキ子」に決まる。

 1968年、「星空の孤独」でレコードデビューを果たす。キャッチフレーズは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」。黒人音楽を愛した和田は大いに喜んだ。

 しかし、デビュー直後から立て続けに大きな屈辱を味わうことになる。

次の記事に続く 「あんたがいると着替えづらいのよ」女性歌手からのいじめ、容姿への心ない言葉…「本当はナイーブ」な和田アキ子が“豪快キャラ”の裏で涙した「屈辱的な体験」

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