和田アキ子、76歳。今年3月に40年続いた長寿番組『アッコにおまかせ!』が終了し、キャリアの大きな曲がり角に立ったかのように見えた。
しかし、4月からスタートした街ブラ番組『アッコとジャンボ』が好評を博し、バラエティ番組での露出も増えている。TOKYO MXの入社1年目の社員が提案したYouTubeチャンネル『和田アキ子、AIスマホと親友になる。』が始動するなど、芸歴58年の大御所とは思えないフットワークで新しいチャレンジに取り組みはじめている。
和田アキ子というタレントはどのように生まれたのだろうか。いったいどんなタレントなのだろうか。その長きにわたるキャリアを振り返りつつ考えてみたい。
再婚直後に発覚した「子宮がん」
和田アキ子は著書やインタビューなどで、何度も自身が抱いていた夢を語っている。それは次のようなものだ。
「昔から異常に子供好きだった私には、若い頃から思い描いていた夢がありました。自分に子供ができたら、ねんねこ半纏で子供をおぶって仕事に行くことです」
(和田アキ子『5年目のハイヒール』扶桑社)
子どもをおぶって仕事に行き、ドレスに着替えてステージを務める。控室に帰ると、また子どもをおぶって帰っていく。子どものほっぺたにつねられた跡があるから、共演者の誰かがいじめたんだな……。そんな妄想を毎日繰り返していたという。
しかし、そんな夢は打ち砕かれてしまう。1981年、飯塚浩司と再婚した直後、ピルをもらいにいった婦人科で異常が発見された。診断の結果は子宮がん。子宮の全摘出が必要だった。
死にたいと思い続ける日々
子どもの頃の夢は保育士というほど子どもが好きで、未婚の母でいいから子どもが欲しかった和田には辛すぎる診断である。手術前は同意書にサインした夫に当たり散らした。
「冗談じゃない! なんでそんなものに同意したんだ。今だって男みたいに言われてるのに、子供が産めなくなったら、やっぱり男だったって言われちゃう。あんたがハンコさえ押さなきゃよかったんだ! ふざけるな! 死んでやるから!」(同前)
子宮移植ができないかどうか聞いて回ったこともあった。母に人工授精で夫の子を産んでほしいと懇願したこともある。母は娘が可哀想で3日間泣き続けたという。
手術は無事に終わったが、辛い日々が続いた。入院中、新生児室から聞こえてくる赤ちゃんの泣き声に神経を苛まれ、廊下ですれ違う幸せそうな妊婦に憎悪の視線を向けた。毎日泣き続けて、病室の窓から本気で飛び降りようとした。
「憎悪と嫌悪と悲しみと絶望感で、私は毎日病室の天井を見上げて死ぬことばかり考えていました」(同前)
夫からのメッセージに号泣
和田が立ち直ったのは、夫の支えが大きい。和田は離婚を切り出したが、夫は取り合わなかった。当時、夫としていた交換日記にはこう書かれていた。
「死にたいなんて言わないほうがいい。これは神様がふたりに与えてくれた試練だって、どうして思わないのか。世の中にはアコよりもっと苦しんでる人がいる。言うんだったら『死にたいくらいの気持ちです』と言いなさい」(同前)
退院するときは医師や看護師たちの前で気丈に振る舞ったが、家に帰って仕事に出かけた夫が残していた「健康に、こんにちは」という貼り紙を見たときは泣き崩れた。この紙は宝物にしているという。
