和田アキ子、76歳。今年3月に40年続いた長寿番組『アッコにおまかせ!』が終了し、キャリアの大きな曲がり角に立ったかのように見えた。
しかし、4月からスタートした街ブラ番組『アッコとジャンボ』が好評を博し、バラエティ番組での露出も増えている。TOKYO MXの入社1年目の社員が提案したYouTubeチャンネル『和田アキ子、AIスマホと親友になる。』が始動するなど、芸歴58年の大御所とは思えないフットワークで新しいチャレンジに取り組みはじめている。
和田アキ子というタレントはどのように生まれたのだろうか。いったいどんなタレントなのだろうか。その長きにわたるキャリアを振り返りつつ考えてみたい。
在日韓国人として
1950年、大阪市出身。在日韓国・朝鮮人が多い地区で生まれ育った。両親は朝鮮半島出身で、和田自身も在日韓国人として生まれている。帰化前の本名は金福子。地元では「福ちゃん」で通っていた。
父は柔道の師範で、体重100キロを超える巨漢。警察でも柔道を教える地元の名士と言える存在であり、100畳ほどの道場に100人近い門弟が溢れかえっていた。和田も6歳の頃から柔道を始め、中学生の頃には初段の腕前になっている。家は裕福で、お手伝いさんが複数いた。
かつては通名を使っていたが、芸能界デビューのタイミングで日本に帰化して「和田現子(あきこ)」という名前になっている。
父親の厳しすぎる教育
父のしつけはとにかく厳しかった。ささいなことでまだ小学生だった和田を何かと殴った。顔が腫れ上がるほど殴って、病院に1週間入院させたこともある。井戸の水を頭からかけたり、縄で縛り付けたりもした。女の子の育て方に独特の考え方があったようで、3人の弟は一切殴られなかったという。
父は和田を厳格なミッション系の中学に通わせた。この頃になると気が強かった和田は、親に反抗するようになる。
あるとき、和田の肩から脚にかけて、角材で殴られたような傷と焼け火箸があてられたような跡がついているのを教師が見つけた。50円玉がなくなり、和田が盗んだのではないかと父に疑われたためだ。このときは泣きながら学校から包丁を持ち出し、「いまから親を2人とも殺したる」と叫んで走り出したが、結局何事も起こらなかった。慌てて後を追った教師は、公園に和田が一人でいるのを見つけたという。
暗い話ばかりではない。学校ではいつもみんなを笑わせ、自分もよく笑った。笑いすぎてあごを何度も外したこともあった。生徒会の選挙で応援演説に立った和田は、満場を爆笑させて候補者はぶっちぎりで当選した。
しかし、家では父の鉄拳が待っている。父には外に愛人が2人いて、腹違いの兄弟が6人もいたこともわかった(AERA編集部『現代の肖像』朝日ソノラマ)。父を憎悪する和田は、だんだん家に帰らなくなっていく。
