美空ひばりとの意外な関係
陰湿ないじめを受けていた和田だが、味方がいなかったわけではない。和田は大御所の懐に飛び込んでいくのが得意だった。
特に可愛がられたのは森繁久彌である。1972年のドラマ『桃から生まれた桃太郎』で親子を演じて知り合うと、家に遊びに行く間柄になった。続けて共演した翌年のドラマ『あんたがたどこさ』では山岡久乃と知り合い、「お母ちゃん」と慕うようになった。
美空ひばりとも仲が良かった。森昌子の結婚式の帰りにひばりの家に押しかけ、二人きりで午前4時まで飲んだこともある。すっぴんを見せ合ったり、お互いの胸をさわりあったりしたこともあったという(ひばりのほうが大きかったらしい)。淡谷のり子も和田の人間性を高く評価していた。
こうした交友関係は、同世代のビートたけし、後輩の明石家さんま、笑福亭鶴瓶、所ジョージなどへと広がっていき、和田のその後の芸能人生を大いに彩っていく。
『うわさのチャンネル!!』豪快キャラでブレイク
1973年、大きな飛躍のきっかけが訪れる。『金曜10時! うわさのチャンネル!!』への出演である。
もともとは穴埋め番組だった。本来は渡辺プロ制作のバラエティ番組を放送する予定だったが、日本テレビと渡辺プロが揉めて枠が空いてしまったのだ。日テレのバラエティを統括する井原高忠の「(渡辺プロに)絶対に負けるな」「死ぬ気でやれ」という大号令のもと、型破りでエネルギッシュな番組が出来上がった。
特に大柄な和田が共演者のせんだみつおやザ・デストロイヤー、ゲストのアイドルたちをハリセンでどつき回す様子が爆発的に受けた。コンプレックスだった身長がプラスに生きたのだ。山口百恵を10回以上プールに突き落としたこともある。逆に和田が苦手な犬をけしかけられて悲鳴をあげることもあり、これも大いに受けた。
ついたあだ名が「ゴッド姉ちゃん」。当時、映画『ゴッドファーザー』の流行にあやかった名前だ。視聴率はうなぎのぼりで30%を突破した。
下品、俗悪、ハレンチなど罵倒の限りを尽くされた番組だったが、和田は「あの番組がなかったら今の和田アキ子はなかった」と振り返っている(朝日新聞 2017年6月8日)。
“女性初のマルチタレント”として
派手なバラエティもいける。ドラマで大御所相手に演じることもできる。トークも司会もできる。もちろん歌は本格派。
かつて大橋巨泉や青島幸男がマルチタレントと呼ばれていたが、当時女性では皆無だった。「すべてをこなすのは、アキ子が初めてだろう」と小田信吾ホリプロ社長(当時)は高い評価を与えている(AERA編集部『現代の肖像』朝日ソノラマ)。
テレビというメディアにもマッチしていた。映画にも何本か出演したが、輝いたのはテレビだった。
筑紫哲也との対談では「テレビがこんだけ普及していなかったら、和田アキ子って存在してなかったと思う」「アッコはテレビのほうが向いてたの。映画だとつくり方があんまり繊細すぎる」とテレビの存在について何度も言及している(筑紫哲也ほか『茶の間の神様―筑紫哲也対論集』ちくま文庫)。
和田をスカウトしたホリプロ社長の堀威夫は「昔の映画スターのように雲の上の人ではないタレントの存在の特徴を一言でいえば、それは『生の姿をさらしているスター』」と語っている(堀威夫『才能を育てる』講談社)。テレビの時代に生の姿をあけっぴろげにさらした初めての女性スターが和田アキ子だった。
