歴史の深い集落だけに、年月を重ねてきた家屋が多い。
茅葺きの上からトタンを被せた屋根や、立派な土蔵、破風に書かれた水の文字、外に飛び出している梁など、見ていて飽きない。また、歩いている間に何軒もの神社とお寺があり、戸数に対して非常に多い印象を受けた。
“第○○作業場”と書かれた同型のプレハブ小屋が点在
集落の山側にも歩いていくと、あちらこちらに同型のプレハブ小屋があるのが気になった。建物には“第○○作業場”の文字がある。これは、“ヤンマー菅浦農村家庭工場”というものらしく、案内板も立てられていた。ヤンマーディーゼル(当時)の創業者・山岡孫吉氏が、「農家の隣に工場があれば通勤時間ゼロで農業の合間に副業として工場で働くことができる」という発想から、昭和35年、菅浦に20の下請け工場を建設した。山岡氏は長浜出身で、菅浦にはこれといった産業がなかったことから、地域に産業をもたらしたいという意図もあったのかもしれない。
農村家庭工場では、農家の人たちが個人事業主としてエンジン部品などを製造していた。個人事業主の土地をヤンマーが借り受けてプレハブ小屋と工作機械を置き、電気代もヤンマーが支払っていた。現在、第1から第20の作業場はほぼ使われておらず、1箇所に集約して稼働している。なお、使われなくなった作業場についても、地主から申し出がない限り解体せず、ヤンマーが地代を支払い続けているという。
楽しみながら歩いている間に、集落の反対側まで到達した。こちらには東の四足門が建っている。西の四足門よりも年季が入っているように見えたが、それもそのはず、文政11年(1828年)に再建されたものだ。
ここで引き返そうと思ったが、“近江湖の辺の道”という道しるべが目に入った。琵琶湖を周遊する遊歩道だが、さらに奥の方向にも矢印が書かれている。





