関係者は「ゼロから3年で竣工なんて無理な話」と振り返った
工期が限られた一方で、バブル期の公団の設計費や工事費は民間デベロッパーのそれに比べて安く、工事入札は不調がつづいた。大手のゼネコン各社は、東京都庁の千代田区丸の内から新宿区西新宿への移転・新築を筆頭に都心のプロジェクトにかかりきりで、多摩の団地建設には見向きもしなかった。公団は、天下り人脈も使って、中堅や地場の建設会社をかき集める。施工者の数は、じつに53社に上った。
それぞれの施工会社の下に型枠、鉄筋、コンクリート打設、設備、内装……さまざまな専門業者と職人集団がぶら下がっていたが、人手不足が深刻だった。南大沢の団地建設にかかわった中堅ゼネコンの元現場監督は、こう回想した。
「都心のプロジェクトでも、朝礼に顔を出した職人が、夕方になると消えていました。人が足りないから、現場を掛け持ちして人工を水増しして稼いでいた。都心の現場でそれですから、遠い八王子に職人は来たがらない。おまけに道路事情が悪くて、ひどい渋滞に巻き込まれた。そんな状態で、ゼロから3年で竣工なんて無理な話です」
すべてのしわ寄せが、住戸を買った人たちに押しつけられた。公団は、緘口令を敷いて被害住民の仮移転と、建物の補修、建て替えを進めていたが、「スクープ 公団マンション200世帯避難」と週刊朝日(2002年11月22日号)が報じ、世間に南大沢のマンション住民たちの苦境が伝わった。
建て替えを受け入れなかった公団だが……
2005年3月19日土曜日、A団地の住民たちは、臨時住民集会を開くために近くの小学校の体育館に集まった。管理組合は、公団との長い交渉の末に1戸あたり300万円の解決金を引き出し、18棟のうち中低層16棟の「建て替え」を認めさせた。
しかし、高層の2棟について、公団は構造的な安全性は確保されており、解体せずに大規模な補修と補強で対応できるとし、建て替えに応じなかった。
住民が建物検査で欠陥にメスを入れ、仮移転を強いられてから7年の歳月が流れていた。16棟の建て替えを進めるには、高層2棟の賛同も得なくてはならなかった。高層棟の住民のなかに「どうしてそちらは建て替えで、自分たちは補修なのか、管理組合はわれわれを置き去りにするのか……」といったわだかまりがないと言ったら噓になる。
午後1時、臨時総会が始まった。
