プロサッカー選手・松本光平、37歳。中学・高校時代は柿谷曜一朗や宇佐美貴史ら、のちの日本代表選手たちと肩を並べてプレーした実力者である。そんな彼を、突如として悲劇が襲った。2020年5月、海外クラブを渡り歩いているさなか、ニュージーランドでのトレーニング中に起きた事故で右目を失明したのだ。左目の視力も0.01以下にまで低下した。
アスリートにとって致命的とも言える怪我を負い、視覚障害者となった彼は何を思い、なぜ今も現役のプロサッカー選手としてピッチに立ち続けているのか。壮絶な事故の瞬間の記憶に迫る。
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「自分もこのまま終われない」という思い
――松本選手は学生時代からプロのユースに所属して活動されていましたよね。
松本 そうですね。中学時代はセレッソ大阪U-15に所属して、柿谷曜一朗選手や山口螢選手らとともにプレーしました。高校からはガンバ大阪のユースに移籍し、宇佐美貴史選手や倉田秋選手らとともに3年間を過ごしました。
――ユース年代では同世代のトップ選手たちとプレーをし、その後、彼らの中には日本代表に選ばれる選手もいました。一方、松本選手は主にフィジー、バヌアツ、ニューカレドニア、ソロモン諸島などのチームでプレーをすることに。
松本 そうですね、彼らの活躍は喜ばしく思っています。ただ、「自分もこのまま終われない」という思いはずっとあります。正直、日本から欧州に行った選手に比べて、日本からそのほかの海外に行った選手は格下扱いをされる面があるじゃないですか。でも、「自分もトップ選手と同じ場所でプレーしてやる」という気持ちは持ち続けてきました。
だからこそ、FIFAクラブワールドカップ(4年に1度開催されるサッカークラブの世界大会)は特別な舞台ですね。世界規模の大会で自分のプレーを見てもらえば、世界のリーグに対してアピールができるじゃないですか。
――よほどサッカーがお好きなように感じられます。
松本 ところがそうでもないんです。サッカーは、私にとってずっと、「うまくできないスポーツ」で。
身長173センチなのですが、中学1年生くらいのときにはすでに同程度の体格でした。いまとなっては、プロスポーツ選手として小柄な体躯ですが、幼稚園から中学校まではずっと大きなほうで、身体能力も高かったので、あらゆるスポーツが他の人よりもできていたんです。でも、サッカーだけは、ぜんぜんうまくなかったんですよね。自分より小さい選手に負かされることも日常的にありました。
好きで続けているというよりも、「ここで退いたら負けたまま終わる」のが悔しくてやっているんです。

