右目を失明する絶望的な事故の瞬間、プロサッカー選手・松本光平が真っ先に考えたのは「いかに両親へ心配をかけないか」だったという。過去の大怪我も家族には「簡単な手術」と伝え、異国での生活を一人乗り越えてきた彼の強さの裏には、家族への深い愛情がある。最終回では、過酷なリハビリと復帰を支え続けた恩師との絆、そして家族への思いに迫る。

松本光平選手

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両親には心配をかけたくない

――右目を失明し、左目の視力が0.01以下という視覚障害を抱える松本選手ですが、普段はおひとりで暮らしていますし、海外での生活も続けられてきましたよね。ご家族も心配されていることでしょう。

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松本 今はほとんど問題なく日常生活が出来ていますし、高校を卒業してからすぐに海外に行って、そこからずっと一人暮らしだったので、心配をかけることはないですね。

 事故にあった瞬間も、家族に心配をかけたくなかったですし、深刻な感じに思ってほしくなくて、症状の心配よりも「早く日常生活に戻れるようにリハビリを頑張らないとな」と思っていました。昔から自分のことで両親には心配をかけたくないんです。

復帰に向けて動いてくれた恩師

――それでも、目が見えないとなると、ご家族もさすがに気づかれるのではないでしょうか。

松本 リハビリを開始した当初は、まっすぐに歩くのも困難だったので、早く復活をして、元気な姿で会いに行こうとずっと思って。なのでリハビリにもしっかりと取り組めましたし、リハビリを続けていくうちに、徐々に距離感を掴むことができるようになりました。サッカーもプレーできますし、今は目が見えていないと気づかれないくらいの状態になりました。

――両親には心配をかけたくない一方で、小学生時代からの恩師には色々なことを相談されるとか。

フットサルのプロチームでも活躍した松本選手

松本 そうですね。小学校のときのコーチには非常に親切にしていただいています。2020年の事故のときも、直前までコーチと電話していました。事故後、私が視覚障害を負ったあとも、コーチは目のリハビリにも関連するライフキネティックという資格を取得していて、日本に帰国してともに復帰に向けて動いてくれました。2022年から1年間、日本のフットサルのプロチームに参加させてもらったのですが、それもコーチの指導があったおかげです。