名著は、読む年齢ごとに違った発見がある
――繰り返し読まれたのですね。
小川 はい。最初から最後まで全部毎回読み返すわけじゃなくて、なにかの折にパッとめくって偶然開いたページをまた読んだり。で、読む視点がそのときの年齢で違ってきます。
学生のときは、同級生にアンネみたいな子がいたら、こういう話ができたらいいなぁと思いながら読んだ。そして、社会や歴史の問題も徐々に分かってくる年齢になると、そこを意識して読みました。あるいは自分が子を持つ母になってからは、アンネの母親エーディトの視点で読んだり。
そして、隠れ家の住人を心身ともに助けた支援者の一人、ミープ・ヒースさんのような、自分が持っているものを他者に差し出すような生き方ができる人って、どういう人なんだろう? と、隠れ家の外の人々に思いをはせるような読み方もしました。そうやって、一生読むことになる本に出会えましたね。
――読む年齢によって、自分自身の読み方が違ってくるというのは、本当にそうですね。ところで、今の小川さんが『アンネの日記』を読んだとき、どんなところが印象に残るでしょうか。
小川 (万感の思いを込めて)……この本の中には、話題にできる色々な要素が本当にたくさん詰まっているんですよね~! 若いときにはアンネの立場でお母さんのエーディトを批判的な目で見ていたんですけど、大人になって、エーディトの年齢をさらに上にとびこして読むと、「彼女も頑張っていたなー!」ということに気づかされます。
アンネは、家庭の中におさまって子供の世話だけ焼いたり心配したりして一生終わるなんてつまらないじゃないか、自分はそういう人生は送りたくない、という書きかたをしています。でも、ナチスにいつ捕らえられるか分からないストレスの極限にある、まさに危機的な状況の中で、「幼い子どもの命を守る」ということが親にとってどんなに大変だったことでしょう。それは、人間が果たせる最も尊い仕事で、この時代を生きたアンネのお父さんもお母さんも、隠れ家で一緒に住んだペーターのお父さんもお母さんも、みんなあなたのために考えて動いてくれたのよ、ということをアンネに言いたい。
アンネはもう死んじゃっていないんだけど、日記を開けば、私がアンネにそう言えるような感じがするんですよね。本を介してアンネと通じ合えるっていう。だから、この本を残してくれて良かったなぁとつくづく思います。
この日記に出てくる人は、誰一人として軽蔑すべき人はいないんです。あのアンネが皮肉たっぷりに書いた歯医者のデュッセルさんにしても(アンネと同室だった隠れ家の住人)。みんな一生懸命生きようとしたというだけで尊ぶべき人々であることが、日記を繰り返し読むうちにだんだん分かってきて、それをアンネに伝えたいなと思います。
――隠れ家の大人たち全員、そして支援者たちが命をかけて必死に守ったのは、子どもたちがいるからなんですよね。
小川 いや、ほんとにね。大人だけだったら、また違ったと思うんです。ミープさんもね、自分よりずっと年少者であるアンネやマルゴーやペーターのような子ども達に対して注ぐ視線のあたたかさは、母性みたいなものが根底にあるからこそ、あそこまで献身的に出来たんだなぁと思う。このときミープさん自身は自分の子どもがいなかった。戦後、彼女は高齢出産で男の子の赤ちゃんを産むんですよね。
アンネは「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」と日記に書いていますけど(『アンネの日記 増補新訂版』アンネ・フランク著、深町眞理子訳、文春文庫より)を、ミープさんが自分の子どもを産んでその子を胸に抱いたときに、絶対、隠れ家にいた子どもたちのことを思い出したと思うんですよ。
ですから、アンネたちが遺したものは、まったく無駄になってないよっていうことも、アンネに伝えたいです。
(2回目に続く)

