1991年、『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞し、『博士の愛した数式』『ミーナの行進』『猫を抱いて象と泳ぐ』『密やかな結晶』など話題作を出し続け、国内のみならず海外でも高く評価されている小説家、小川洋子さん。その執筆の原点は、悩み多き思春期における、ユダヤ人少女アンネ・フランクとの出会いでした。2014年に放送されたNHK番組「100分de名著」で、アンネが綴った『アンネの日記』の文学としての素晴らしさを小川さんは紹介。その番組テキストを再構成した単行本が、この度、書き下ろしと新しい秘蔵写真をたっぷりと加えて文庫になりました。世界的名著の魅力に迫った『小川洋子が読みとく『アンネの日記』 NHK「100分de名著」ブックス編』の刊行を記念し、小川さんにお話を伺いました。(全5回の1回目)
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悩める思春期にアンネと出会って
――アンネとの出会いは、いつ頃だったのでしょうか?
小川 アンネと同世代の中学1年生の頃だったと思います。『アンネの日記』を学校の図書館で借りて読んだのですが、そのときにはちょっと内容が難しすぎたといいますか、アンネの方が自分よりお姉さんだなぁっていうのが第一印象でした。
アンネは収容所で15歳で亡くなりましたから、アンネが生きていた年齢を超えて、彼女が生きられなかった16~17歳頃の高校生で読み返したときに、自分が置かれた状況と通じるものを本から感じとることができたんです。
ちょうどその頃、私も思春期の混沌の渦中に飛び込んでいる状態で、そこで自分が言葉で表現できなかったモヤモヤしたもの――たとえば、母親との関係や、この狭い世界からもっと広いところへ飛び出したい気持ち、あるいは恋に恋するみたいな憧れといったものが日記に綴られていて、「全部、言葉で表現してくれているなぁ」という共感を覚えました。
――『アンネの日記』が自分の気持ちを代弁している、ということでしょうか。
小川 そうですね。「あ、そうそう、そういうことなんだ」って頷きながら読めました。
第二次世界大戦下、ただユダヤ人というだけでナチス・ドイツに捕らえられ、惨い仕打ちを受けて多くの人々が虐殺された。アンネは家族、父オットーのビジネスパートナー一家、歯科医と一緒に8人で、ナチスに見つからないようにオランダ・アムステルダムの隠れ家に潜伏。隠れ家に移ったのは1942年7月6日、13歳の誕生日を迎えて1カ月も経っていなかった時だ。まったく外に出られないという異常な状況下、隠れ家で綴られたのが『アンネの日記』でした。
「どうして彼女たちがこういう辛い思いをしなきゃいけないんだ」という理不尽なものに対する怒りをもって読んだりもしました。
でも、こういった大変な境遇なのに、まだユダヤ人の歴史までには思いが至らず、アンネのことを羨ましいと思ったんですよね。彼女には友達がたくさんいたし、潜伏前の学校生活では男の子たちにもてたって自慢しているし(笑)、クラスの中でリーダーになれるような目立つハキハキした女の子で、あ、こういう子は自分の周りにもいるなと思ったんです。だけど、一人になったときには、自分とちゃんと対話して思考を深く掘り下げて、それを全部豊かな言葉で表現できるというその才能にも憧れました。ユダヤ人の迫害を受けている歴史的な状況にまで思いを至せるようになったのは、後からですね。
ですから学生のころから、何回も読み返すことになった。自分が成長していくにつれて、もうどんどんこの日記にのめりこむようになり、今につながっています。

