ミープ・ヒースは真の英雄
――最初、契約のことを気にされて面会を断られたのですよね。〈『アンネ・フランクの記憶』(小川洋子著、角川文庫)に経緯が詳しく書かれています〉
小川 そうそう。でも、最終的にミープさんは「よし、分かった! まぁ問題が起こっても後で考えよう!」という感じで一ファンとして会ってくださった。
――小川さんが直接会ってミープさんから感じたものは、どんなものでしたか?
小川 それは、社会がどんな状況であっても、守るべきものは守る、そういう意思の強さを持った人でしたね。単に気が強いとか、見栄っ張りとか、負けず嫌いとか、そういうこととは全然違うんです。なんていうんでしょうかね、他の人には感じたことのない、こう……(言葉を選びながら)非常に原始的な生命力の強さを感じました。人間が生きていくうえで本来最も大事な生命力にあふれた人。人はいろいろ鎧を被ることで自分を守ろうとするんだけど、そんな鎧や鉄砲やナイフがなくても、生身の状態でその人自身が持っている生命力だけでちゃんと闘える人、そういう感じの方でした。
小川 ミープさんに、本にサインを頼んだとき、“we were no heroes,we only did our human duty,helping people who need help.”(私たちは英雄などではありません。ただ、助けを必要としている人々を助けるという、人間として当然のことをしただけです。)という英文メッセージを書いていただきました。だからその通りで、当然のことができる人!ということなんです。でも、普通の人は実際にはそれがなかなかできないんですよ。
――できないですよね……。やっぱりとても勇気のある方だと思います。
小川 あ、そういうことですね。「人として当然のことは何か?」っていうことを常に自問して、それができる人間でなくてはいけないんだなぁっていうふうにミープさんに教えていただきました。
――口数は多い方でしたか?
小川 いえ、多くはないんですけど、尋ねると、きちんと答えてくださいました。
ミープに見せてもらったアンネの化粧ケープ
小川 ミープさんのご自宅を訪問して最後帰るときに、「ありがとうございました」と玄関でご挨拶して、階段をおりたところにメールボックス(郵便受け)があった。玄関からメールボックスまではかなりの急階段になっていたので、80代半ばのご高齢のミープさんは昇り降りするのに苦労されていたのだと思います。「下のメールボックスを確認してくれませんか」と言われて、入っていた郵便物を階段をのぼって渡したら、「ありがとうねー!」って喜んでくれて。それでお別れしました。
――大変印象に残るエピソードですね。といいますのは、ミープさんは、アンネの支援者であり、アンネが捕らわれた後に危険を冒して日記を回収、保存したいわば救世主。彼女がいなかったら『アンネの日記』は世に出ることはなかったわけで、聖書の次に読まれているとまで言われた世界的名著の誕生は彼女のおかげといっても過言ではありません。オランダだけではなく世界中でも有名人のはずです。いわば英雄的存在で豪邸に住んでいるのではないかと想像していたのですが、実際は全然そうじゃない。英雄然としたところは皆無で、つつましく質素な暮らしを送っていたんですね。
小川 英雄としての世間体を使ってお金もうけしようなんて人だったら、もともとアンネの日記を救い出していないでしょうねぇ。
面会の最後の方で、ミープさんがクローゼットの引き出しを開けて、「これはアンネのケープです」って化粧ケープを見せてくれたんです! もう、同行の編集者と一緒に「あぁ!!」と声をあげて、震えるような感動を味わいました。『思い出のアンネ・フランク』(ミープ・ヒース、アリスン・レスリー・ゴールド著 深町眞理子訳、文春文庫)にも詳しく出てきますけれども、日記とケープ――いわばアンネの魂と肉体とも呼べる存在を、ナチスに奪われる前に隠れ家から持ち出して救ったわけです。だけどそれを声高に叫ぶことはしなかった。ご自分が頼まれてアメリカに行って講演でお話しするのも、「歴史を伝えたいという使命感であって、余計な思惑は何にもないんだ」とおっしゃっていました。まったくその通りだと思います。そして、講演したお礼が子どもたちが色紙で作ってくれたメダルだったりするわけですよ!
――可愛い!
小川 ねぇ。それをミープさんは大事に取っていた。子どもたちからもらったお礼や感想の手紙、それからたくさんの写真を実際に見せてもらいました。お会いしたときは80代半ばでしたけれども、アメリカにも出張で行くくらいすごくお元気でね。
ミープさんとの面会は、愛するご主人に先立たれて一人っきりでも、住んでいるのがちっちゃな部屋でも、あぁ、生きるって素晴らしいことだなっていう、当たり前のことを感じさせてくれる体験でした。でもあのとき(1994年の取材旅行)、ミープさんやアンネの親友だったジャクリーヌさんに会えたのも、その足でアウシュヴィッツに行けたのも、ぜんぶ私が作家になれたからであって、そういうことも含めて、やっぱり作家になれたっていうことは本当に幸運だった。そしてたどっていくと、その根本はアンネのおかげ――って、循環している感じですね(笑)。
(5回目に続く)


