話題作を出し続け、海外でも高く評価されている小説家、小川洋子さん。その執筆の原点は、悩み多き思春期における、ユダヤ人少女アンネ・フランクとの出会いでした。『アンネの日記』の文学としての素晴らしさに心を打たれ、自ら言葉を紡ぐ作家の道へと進むことになった小川さんが、世界的名著の魅力に迫った『小川洋子が読みとく『アンネの日記』 NHK「100分de名著」ブックス編』の文庫刊行を記念し、お話を伺いました。(全5回の2回目)

『小川洋子が読みとく『アンネの日記』』(小川洋子著)

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隠れ家の住人をバックアップした支援者たち

――アンネは、隠れ家の生活で起こるハプニングや繰り広げられる人間模様を生き生きとした筆致で日記に綴っています。アンネたち8人のユダヤ人は支援者たちの全面的サポートに支えられ、1944年8月4日にナチスに逮捕されるまで、隠れ家で生き延びます。

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小川 アンネ自身も、ミープ・ヒースはじめ支援者たちがどんなに勇敢で身を挺して自分たちを守ってくれているか、理解しているんです。

 ある時、支援者チームのリーダー格だったクレイマンさんが胃の手術のため入院するときに、まるで買い物に行くみたいに「さよなら」って言ってさりげなく出ていきました、それをキティーにぜひ見せてあげたかったわ、と日記に書いた(アンネは、架空の友人キティーに宛てた手紙という形式で綴った)。ということは、彼女自身も支援者の人々に支えられているということをちゃんと分かっているんですね。それを物語の一場面みたいに映像的な描写で表現して、あぁ賢い子だなぁと。大人の背中が語っているものを受け取って、それを言葉にできるという大変な能力を持った子で、だから『アンネの日記』がこれだけ世界中の人々に長い間読み継がれてきたのも、そこに理由がちゃんとあるんですね。

小川洋子さん。 写真:鈴木七絵

アンネに教わったのは、言葉に対する信頼感

――『アンネの日記』は小川さんが作家になったきっかけの本ですが、作家として幾つもの小説を紡いできて、この本が、小説を生み出す根底の部分になにか影響を与えていると感じることはありますか?

小川 とにかく言葉に対する信頼感といいますか、言葉で何かを表すことによって読者に伝わるものがあるという、アンネから言葉に対しての絶対的な信頼感を教わって、自分も同じように言葉を信頼して連ねていくという人生になった。

 そしてこれは無意識だったんですけれども、自分が小説に書いてきた人々が、なにかしらの境界線の中に閉じこもっている人々なんですよ。チェス盤の中だけにいたり(『猫を抱いて象と泳ぐ』)や、町の外にはもう出ていけなかったり(『ことり』)、最愛の死んだ子どもが歩いた道しか母は歩けない(『小箱』)、といった具合に。

 そのような閉じ込められている人が、制限された中で宇宙的なものとつながるという矛盾が成立するのが小説で、そういった小説を書きたいとずっと思っていまして、「あぁ、これはもしかしてアンネと同じだな。彼女が隠れ家の中で日記を開いているときだけは、自由な世界に羽ばたいて飛び出せた」ということにつながるので、ここに原点があったのかなと気づきました。

――『アンネの日記』を意識して小説を書いてきたわけではなく、振り返ると、つながる部分があったということですね。

小川 はい。小説について色々なインタビューを受けてきた中で気づかされたのですが、「あぁやっぱり、根本に『アンネの日記』があったんだな」ということは、小説を書き終えて振り返ったときに感じましたね。

アンネ・フランク。 写真:アフロ

――小川さんが描かれる世界は、小さきもの――権力者ではなく、名もなき人の思いをすくいとって表現しているように感じるのですけれども、そういうところも『アンネの日記』につながっているのでしょうか?

小川 えぇ、そうかもしれません。結局、あの時代のユダヤ人たちは大きな声で主張することができなかったわけですよね、それは命とりになるわけで。だから小説によって登場人物の置かれる状況はそれぞれ違うんですけれども、大きな声を出せない、出したくない、出したいけど許されない――そういう人々の声にならない声をどうやって伝えるかというときに、私は小説の形にして言葉に置き換えていくという方法しか自分は持っていないなと思って書いているのでしょうね。

小川洋子さん。 写真:鈴木七絵