今は昔、近江国栗太郡(滋賀県南部)に巨大な柞(カシ類の総称)の樹が生えていた。その周囲はおよそ900メートルというのだから、途方もなく大きい。あまりに巨大なので、その影が朝には丹波国(京都府中部と兵庫県の一部)まで伸び、夕には伊勢国(三重県の大部分)まで伸びたという。雷が鳴っても動かず、大風が吹いても揺るがない。でも、そうなると、地元の百姓たちは農地を耕やそうにも、この樹の影になってしまい、まったく田畠に日が当たらない。そこで困った百姓たちが朝廷にこのことを訴えたところ、天皇は掃部宿禰という廷臣をお遣わしになって、この巨木をみごとに切り倒してくれた。以来、この土地は豊かに富み栄えたとさ(巻31の37話)。
そんな巨大な樹があるわけないのだから、もちろんこの話は史実ではないだろう。ただ、この説話の面白いのは、人間の力を超える巨大な自然に対して、それに対抗する存在として、他でもない天皇が呼び出されているところだ。しかも、そんな話が『今昔物語集』全1000余話の最末に置かれているというのも、極めて象徴的である。古代の説話のなかには、こんな天皇の呪力を称えるような話が他にいくつも確認できる。
実力があっても、将軍や大名ではダメ
実際、この手の話はなにも平安時代に限ったものではなく、遥か後の室町時代にも引き続き再生産され続けているのだ。
長禄4年(1460)、山城国(京都府南部)で実際にあった話である。竹田寺という寺院の修造をしようと人々が堀をほっていたところ、土の中から、突如、謎の石櫃が姿を現した。この石櫃は大変重いもので、引き上げようとしても引き上げられず、ふたを開けようと思っても一向に開かなかった。そこで村人たちはその土地の領主に相談したところ、領主の三条氏は「これはまったく奇怪なことだ。私の責任範囲を超えている」と怯えだし、そのまま事態は朝廷に報告されるところとなった。
その結果、ときの後花園天皇はわざわざ蔵人二人を現地に派遣して、彼ら勅使の立会いのもと、石櫃のふたが開けられることとなった。かくして仰々しい準備のすえ、石のふたが開けられる。中からどんなお宝が出てくるのか、あるいはどんな物の怪が飛び出してくるのか……。ところが、多くの人々の期待と不安に反して、石櫃の中には法華経と阿弥陀経が入っていたぐらいで、残念ながらとくに大したものは見つからなかった。わざわざ都から下向してきた勅使たちの苦労は、けっきょく、骨折り損に終わったのだった(『経覚私要鈔』長禄4年10月10日条)。
こんなことでいちいち相談を持ち込まれる天皇も難儀だろうが、当時の人々は不思議なものに遭遇すると、何らかの祟りを恐れて、それを超える権威にすがろうと考えたようだ。そういう時は、いくら実力があるからといって、将軍や大名ではダメ。やはり古代以来の天皇という存在が、なによりも重宝された。
もちろん、これですべてが説明できるわけでもないが、政治権力を喪失しながらも天皇が日本史上に存続しえた謎を本当に解明するのならば、こうした当時の人々の心性にまで立ち返って、もう一度、点検していく必要があるだろう。
