現代では、政治家は不倫が発覚すると、バッシングを受け、議員辞職に追い込まれることもある。だが、かつての日本には「悪趣味なまでの人妻好き」な最高権力者がいた。その人物とは、南北朝の合体を実現し、明から「日本国王」の称号を与えられた、室町幕府の三代将軍、足利義満であった……。
TVアニメ「ワールド イズ ダンシング」の歴史監修を務める清水克行教授が、中世日本のカオスすぎるエピソードを綴った『室町「下剋上」サバイバル』(文藝春秋)より、抜粋して紹介する。
◆◆◆
なりふり構わず言い寄る「室町幕府の首領」
ヒトの恋愛感情というものは、ときに常識や倫理を軽々と超えてしまうものらしい。
康暦元年(1379)頃の話である。完成して間もない室町幕府の”花の御所”にて、雅やかな管絃の会が催された。このとき将軍義満は22歳。その若さで前年8月には右大将に任ぜられており、祖父の初代尊氏、父の二代義詮の官職を着実に踏襲していた。また2月からは、楽器の嗜みとして、笙も習い始めており、公家文化に馴染むための準備は万全に整えられていた。
そうした管絃の会に、公家の中山親雅の妻が参加していた。彼女は箏の名手との呼び声が高く、その技能を買われて、この会に呼ばれたのだった。ところが、あろうことか、この人妻を若い義満が見染めてしまったのである。義満はもともとが強引な性格であるため、一度火が付くと歯止めが利かない。たぶん彼女のほうが年上と思われるが、なりふり構わず言い寄る義満は青年とはいえ室町幕府の首領である。彼女は立場上、むげに拒絶することもできない。やがて、こうした会が何度も重ねられるうちに、とうとう二人は本当に男女の関係になってしまった。おそらく彼女が押し切られてしまったのだろう。すでに彼女は夫、親雅との間に数人の子をもうけており、二人の関係が当時の常識に照らしても「不倫」であることは明らかだった。
その後、彼女のお腹に義満の子が宿ったことで、もはや事は隠し通すことができなくなった。翌年8月、義満は夫の親雅に言い含めて、彼女を密かに御所へ引き取ることになる。その翌年正月、彼女は無事に男児を出産。ついに義満は人妻を我が物としてしまったのだ。当時の人々も「すこぶるもって奇となす」と、その強引さに呆れている。
「私からすべてを奪う気なのか!」上皇が情緒不安定に
ところが、義満の異常な行状は、これにとどまらない。公家の柳原資衡の妻は夫と23年間も連れ添っていたものの義満によって強制的に離別させられ、内裏での義満専用の接待係にさせられている。また、義満の愛妾のうちには公家の裏松重光や関白九条経教の「旧妻」の存在も確認されている。これだけでも、義満の悪趣味なまでの人妻好きは否定のしようがない。
さらに義満は、驚くなかれ、実の弟である足利満詮からも、その妻を奪い取っているのだ。彼女も中山親雅の妻と同様、すでに満詮とのあいだに一人の男児をもうけていたが、その後に義満と関係をもち、彼とのあいだにも男児を産んでいる。
以上のように、足利義満は人妻掠奪の常習犯で、その女癖の悪さは当時の公家社会にも広く知れ渡っていた。永徳3年(1383)2月には、室町政治史でも有名な大スキャンダルが起きる。ときの後円融上皇が突如錯乱し、宮中の女房を折檻したうえ、自殺未遂騒ぎを起こしたのだ。この事件は一般的には、巨大化する義満の権力にプレッシャーを感じ続け、心身のバランスを崩したすえの上皇の醜態と理解されている。しかし、その直接の引き金となったのは、上皇の愛妾が義満と密通しているという世間の噂であった。ついに義満の毒牙は上皇の愛人にまで及んだというのだ。これまでの常識外れな行いからすれば、彼が宮中の女性に手を出すということも決して無い話ではない。ただでさえ情緒不安定だった上皇が、この噂を聞いて、「義満は私からすべてを奪う気なのか!」と平静ではいられなくなったのも無理からぬところである。

