天皇制はなぜ長く続いたのか? 昭和から平成へ代替わりする際、歴史学界でも天皇について本格的に研究しようという機運が高まっていた。その当時、大学生だった清水克行さんは、ある野望を抱き……。TVアニメ「ワールド イズ ダンシング」の歴史監修を務める清水克行教授が、中世日本のカオスすぎるエピソードを綴った『室町「下剋上」サバイバル』(文藝春秋)より、抜粋して紹介する。
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先行研究から入るか、史料から入るか…研究者の2つのタイプ
「歴史学者」などという肩書きを背負っていると、一般の方から「歴史の研究論文というのは、どうやって書くものなのですか?」という質問をよくいただく。旧家の土蔵のなかから“お宝”の古文書を探し出してきて、大々的にマスコミに発表したり。奔放な想像力を頼りに、歴史のウラに隠された、あっと驚く“陰謀”や“逆説”を推理したり。残念ながら、そんな一般の方々がもつ派手なイメージとは、僕らが日常的に行っている研究活動は大きく異なる。そこで、ここでは、遥か30年以上も昔、僕が大学時代の卒業論文をどんなふうに書いたのか、というお話を通して、皆さんの疑問にお答えしてみたい。
「昭和」から「平成」への代替りから、まだ間もない当時、日本史における天皇の役割をどう考えるか? 天皇制はなぜかくも長く続いたのか? というのが、歴史学者のあいだの最もホットな話題だった、というのは前にも書いた。大学に入って歴史学を専攻していた当時の僕も、当然ながらそうした問題に興味をもって、身のほど知らずにも天皇制をテーマに卒業論文を書きたいなどという野望を抱いていた。
ただ、研究者にも二通りのタイプがある。一つは、明確な問題意識のもと、その分野の先行研究を端から徹底的に読み込んで、これまでの研究の矛盾や欠落をあぶり出し、そこを埋める仕事をするタイプ。もう一つは、先行研究にはあまり拘らず、とにかく当時の色々な史料に目を通して、そのなかから新しい事実や解釈を見つけ出すタイプ。先行研究から入るか、史料から入るか。どちらが正しいアプローチなのかは一概には言えないし、ひとりの研究者で両方のアプローチを併用できる優れた人もいる。ただ僕に関しては、いま思えば、卒業論文の頃から完全に史料から入るタイプだったようだ。
庶民のケンカや奇天烈なオカルト噺も
大学4年の夏休み、論文を書くために何から手をつけていいか分からなかった僕は、大学の図書室にあった戦国時代の公家の書いた日記を活字化した本をひたすらめくってみた。当時の人たちが書いた日記はくずし字で書かれていて、とても大学生に読めるものではないし、なにより大学生が当時の貴重な日記の実物に触れることなどできるわけもない。ただ、歴史的に重要ないくつかの日記については、当時からすでに活字本になって出版されていたので、和風漢文の読解力と、語彙を調べる辞書さえあれば、なんとか大学生の僕でも読み通すことができたのだ。
とはいえ、僕が読みたかった活字本は大学図書館の本館には架蔵されておらず、なぜか日本文学科の図書室に備え付けられていて、学生には貸出禁止となっていた。そのため僕は夏休みのほぼ毎日、自分の所属していない専攻科の図書室に足を運び、面倒な閲覧手続きを経て、それらの本をめくる作業に勤しんだ。
しかし、誰にも頼らない独力での公家日記の読解はかなり無謀だった。そもそも朝廷の儀式の内容がチンプンカンプンだったし、日記の内容はおおむね退屈で、将軍や大名など有名人に関する記述はたまにしか出てこない。まして天皇制の神髄に関わる記述など、いくら読んでも見つからない。それでも、読み飽きた頃に、ときおり顔をだす京都の街中での庶民のケンカの話題や奇天烈なオカルト噺など、日記のなかの三面記事的な世間話が面白く、いつの間にか僕はそっちに釣られて史料を読み進めるようになっていた。

