本能寺の変などの大事件のとき、御所は…

 すると、ある日、日記のなかの奇妙な記述が僕の目に飛び込んできた。戦国時代は京都を舞台にした合戦がたびたび繰り広げられ、そのたびに町は戦火に包まれた。そうしたとき京都に住む庶民たちは自らの生命や財産を守るため、なんと、当時「禁裏(きんり)」と呼ばれた天皇の御所に続々と逃げ込んでいるのだ。

 そんなことが許されていいのか? 驚いた僕は、試しに京都で起きた大きな政変や合戦の時期に絞って、様々な日記を拾い読みしてみた。すると、出てくる! 出てくる! 細川政元暗殺事件に、天文法華(てんぶんほっけ)の乱に、本能寺の変に、大坂冬の陣・夏の陣! 都を揺るがす有名な大事件の陰で、当時の庶民たちは決まって身を守るために天皇の御所に逃げ込んでいたのだ。その数、「数千人」と書いてある史料もある。御所は大混雑だ。

本能寺焼討之図 3枚続 楊斎延一画
「大坂夏の陣図屏風」

 しかも、彼らは御所のなかにご丁寧に避難小屋を設け、そこに家財道具まで持ち込んで、家族ともども戦乱が収まるまで(たくま)しくも避難生活を続けていたのだ。武士たちの争いの渦中(かちゅう)でも、局外中立だった天皇の御所は、どの勢力も手出しをしない、最も安全な避難場所とみなされていたのだろう。さしずめ現代なら、首都直撃型の災害で家を失った人たちが都心の皇居に駆け込んで、勝手に図々(ずうずう)しく仮設住宅を設営するような話である。いかにも戦国時代らしいアナーキーな話ではないか!

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 しかし、こうした奇妙な現象を素朴に面白いと思った僕の脳裏を次によぎったのは、同じことに気づいている学者がすでにいるのではないか? という不安だった。しがない大学生がひと夏で見つけられるような話など、きっとどこかの学者が先に気づいて論文にしているに違いない。

 実際、前に述べた二つの研究者のタイプのうち、史料から入るタイプの研究者は、運良くワクワクする「発見」に出会ったとしても、あとで調べてみたら、すでに誰かが同じことを論文として発表していてガッカリする、という経験をしばしばさせられる。このタイプの研究アプローチがあまり効率的ではないのは、そうしたところだ(これまで僕もどれだけ辛酸を舐めたか……)。ところが、このときの発見に関しては、いくら調べても、なぜか同じことを指摘している研究論文はどこにも見当たらなかった。

 これはいけるかも知れない! そう思った僕は、これを卒業論文のテーマにすることに決めた。とはいえ、面白い事実を並べるだけではコラム風の文章にはなっても、研究論文にはならない。こうした現象がいつ生まれたもので、いつ姿を消すのか? そして、それにはどんな意味があったのか? そこから僕の卒業論文作成のための取り組みは、次なるステップに移ることになる。

 と、いま思えば、多分にビギナーズラックもあって、僕はこんな感じで卒業論文の目途(めど)を立てることができた。では、はたして、それがどんな天皇論に結実するのか? そして、それは今の僕の研究とどのようにつながっていくのか?

 ※清水克行さんの卒業論文の顚末については『室町「下剋上」サバイバル』をご覧ください。

清水克行氏

室町「下剋上」サバイバル

清水 克行

文藝春秋

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最初から記事を読む 上皇や皇族の愛人、弟の妻も毒牙に… 足利義満は「人妻掠奪の常習犯」だった