口減らしのために孤児院に入れられることに
ノーマ・ジーンは口減らしのために孤児院に入れられることになった。グレースは彼女を孤児院に入れることに、かなり抵抗した。ノーマ・ジーンは将来、映画スターになる。そのためにはグレース自身が育てなければならない。
ゴダードは、グレースに言った
「運が向いてくるまでのほんの短時間さ」
定期収入のないグレースも、ゴダードの言うことを聞かざるを得なかった。ノーマ・ジーンは1935年9月13日から、37年6月26日までの約1年9カ月、孤児院に入ることになる。
ノーマ・ジーンの希望はまたしても踏みにじられた。温かい家族、温かい生活、手に入りそうになっては、するりとこぼれ落ちてしまう。
やっと母親と一緒に暮らせるようになったときは、母親は病気になってしまった。保護者になってくれたグレースは新しい夫との生活を選んで、私を孤児院に入れた。
「冷水のお風呂」「厳格なしつけ」孤児院生活を悲惨な色に塗り替えて…
ノーマ・ジーンが入った孤児院はハリウッド、エル・セントロ815番地のロサンゼルス孤児院である。広々とした赤レンガのコロニアル調の建物だった。
孤児院にいた子どもたちは、すべてが孤児というわけではなかった。孤児院にいた50~60人の子どもたちの多くは、ノーマ・ジーンと同じく極貧の両親が口減らしのために預けられた。
孤児院の生活は、快適とまではいかないものの、ひどい環境ではなかった。少女と少年は別々の棟に分かれ、5~6人ずつ1つの部屋で暮らした。料理や洗濯や掃除をしてくれる大人たちが雇われており、子どもたちには、年齢と体力に合わせて仕事が与えられたが、それは責任感を持たせるためであった。週に5セントから10セントの報酬ももらえた。
ノーマ・ジーンは、マリリン・モンローになった後、孤児院生活を悲惨な色に塗り替えてファンに訴えた。
「人の子どもたちと一緒の部屋で暮らした。数百枚の皿洗いをさせられたわ。冷水のお風呂に、厳格なしつけ、トイレ掃除もやらされたの」
すべてマリリン・モンローの作り話だ。
