少女の頃から映画スターを夢見て、自らを美しく磨き上げていたマリリン・モンロー。本名はノーマ・ジーン。生まれてすぐに里子に出された彼女は、母親のキスさえ知らない。父親が誰なのかもはっきりしていないという。

 映画界に足を踏み入れたマリリン・モンローだが、当初は貧しい生活を送っていたという。いったい、どんな下積み時代だったのか。いかにして私たちの知っている「マリリン・モンロー」になったのか。書籍『知れば知るほど泣けるマリリン・モンロー』(宝島SUGOI文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全3回の3回目/1回目から読む

マリリン・モンロー ©時事通信社

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20世紀フォックスに所属したが、失業の身に

 マリリン・モンローという名前にはなったが、仕事はなかった。20世紀フォックスでのマリリン・モンローの仕事は、広報関連の記事の取材や写真撮影ばかり。1年ほど所属したが、映画の仕事はエキストラか、ほとんど台詞のない端役だった。

 20世紀フォックスの経営者であり、やり手プロデューサーであったザナックはマリリン・モンローに将来性を感じていなかった。マリリンは大部屋女優の一人でしかなかったのだ。

 マリリンは20世紀フォックスに1946年8月から1947年8月まで所属したが、その後は失業の身になる。マリリンは努力家だった。失業しても、20世紀フォックスに所属していたときから通っていたアクターズ研究所で演技のレッスンを続けた。

 アクターズ研究所には、有望な若い脚本家や演出家、そして俳優たちが多く集まっていた。マリリンはここで本格的な演劇を学ぶことになる。

 それだけではない。研究所では、文学や歴史、社会的な事柄が取り上げられ、討論された。マリリンには高校中退という学歴コンプレックスがあった。研究所での討論には身を乗り出すようにして聞き、参加した。自らに足りない知的欲求を満たそうとしたのだ。