元寇という国難を描いた長編歴史小説『海を破る者』(文春文庫)には、河野通有と同じ一族に生まれながら、武士とはまったく違う道を選んだ一遍上人も登場する。なぜ直木賞作家・今村翔吾氏は、この物語にもう一人の視点を必要としたのか。そして、人間は「共通の敵」なしに団結できるのか(全3回の最終回)。

◆◆◆

一遍上人は『坂の上の雲』における正岡子規

――『海を破る者』には、踊り念仏で知られる一遍上人も登場します。

ADVERTISEMENT

今村 彼も河野一族なんですよね。

 一遍上人は、仏教史ではものすごく有名です。でも、ちょっと言い方はあれですけど、地味なんよね。

――地味なんですか。

今村 ほかの鎌倉新仏教を立ち上げた人たちと比べると、ですよ。例えば親鸞とか日蓮と比べると、若干地味な扱いをされがちなんです。

 愛媛の人でも、「この小説で一遍上人と河野一族の関係を知った」という人が結構いたんですよ。

 僕も、言われてみれば確かに河野氏やなと思ったんですけど、河野通有と一遍が同時代の人物だということが、頭の中でつながっていなかった。

 調べている中で一遍上人が出てきて、「この人が必要や」と思いました。

河野氏家系図

――なぜ必要だったのでしょう。

今村 この物語は、主人公と脇役だけではなくて、もう一人必要やと思ったんですよね。

 それは、『坂の上の雲』における正岡子規のポジションです。

――秋山兄弟とは別の場所から、同じ時代を見ている。

今村 そうそう。

 正岡子規がいることによって、物語全体を俯瞰した見方ができる。国や時代の描き方にも、より深みが出る。

『海を破る者』にも、そういう人物が必要だと思いました。

――一遍は、河野通有の相談相手にもなっています。

今村 壁打ち相手みたいなものですね。

 二人とも、人間の世の中を少しでも良くしたいと思っている。志はたぶん一緒なんです。

 でも、六郎は武士として戦う。一遍は、まったく違う道を歩いている。

 同じことを思いながら、別々の道を進んでいく一族の話でもあるんかなと思います。

一遍上人像

京都と大阪は争う。でも「関西人は」と言われたら協力する

――この本を読むと、「なぜ人と人は争うのだろう」と考えざるを得ませんでした。

今村 現実を見ると、「人を信じよう」と簡単には言えない状況も、もちろんあります。

 でも、僕ら物語を書く人間は、やっぱり綺麗事を書き続けないといけないんやと思うんです。

 綺麗事やと言われるかもしれない。でも、その1%を失ってはいけない。

――今は格差や分断が大きな問題になっています。最初から人を信じないことを前提にすると、分断は広がるばかりではないでしょうか。