「“モノ”で走るのではなく“心”で走るんです」
キプチョゲ本人も、トライアル前にはこう語っている。
「まず大切なのはマインドですね。2時間で走れるということは、いままでの世界記録から3分近くを削らないといけない。それはかなり大きな心理的な壁だと思います。まずはその壁を崩さないといけない。常に『2時間で走りきる』ということだけを考えていますよ。それから大事なのが、常に自分のリミットを超えること。自分の能力を超えていくということを、いつも心がけていますね」
万全なサポート体制に加えて、多くの人が長年、労力を費やしてきたプロジェクト。そのために新しく開発されたシューズもあり、記録達成へのプレッシャーもあったはずだ。だが、そう問いかけても、当時のキプチョゲの表情は変わらなかった。
「どんな重圧でも対応できますよ。“モノ”で走るのではなく“心”で走るんです」
マラソンは、突き詰めれば非常にシンプルな競技だ。決められた距離を、いかに速く走るか。それだけといってしまえばそれだけだ。だからこそ、ランナーたちの心の持ち様が、走りに大きく影響を与えると言っていい。
「このペースで最後まで持つのか?」
「本当に自分に狙った記録がだせるのか?」
そんな小さな疑問が頭をよぎるだけで、結果には大きな差が出てくることになる。
それゆえ、自分の可能性を信じ抜くということが、他の競技よりもさらに必要になるものなのだと思う。
絶望するのか、一歩ずつ歩を進めるのか
例えば現在の日本で同様のプロジェクトを行い、日本記録を3分以上も上回る「2時間2分台を出せ」という命題を与えたとして、それを現実的に考え、自分を信じ抜ける選手は、一体何人いるだろうか。
もちろんキプチョゲをはじめとした世界のトップランナーたちは、日々科学的なトレーニングで自分を追い込み、信じられないような強度の練習もこなしている。毎日の肉体作りや生まれ持った才能が、世界のトップになるのに必須なのは、大前提だろう。
それでもなお、今回の結果を見て感じたのは日本勢と海外勢の“思考”の差――もっと言うならば“覚悟”の差だった。
ベルリンのレースを見た日本陸上競技連盟の河野匡長距離・マラソンディレクターは「ショッキングな結果。(日本選手は)記録的なものは並べて戦えない」とコメントした。
「こんな記録を持つランナーに敵うはずがない」と絶望するのか。
「いつかはこの記録までたどりついてやる」と一歩ずつ歩を進めるのか――。
後者のように思う日本選手が、1人でも多くいることを願っている。