現在、発信者、モデル、会社員と様々な顔を持つ川原渓青(通称KawaK:かわけい)さん(28)は、競泳選手でもあった大学時代、バイク事故によるけがで右膝下を失った。手術から半年足らずでパラ競泳を開始、日本記録を更新。競技引退後は、義足を1つのツールとして、さまざまな形で自分自身を表現している。そんなKawaKさんに3回にわたりインタビューした。第3回目は右脚を失ったKawaKさんが「ずっと運がいい」と言えるワケについて、お話をうかがった。(全3回の3本目)
障がい者雇用の現場で伝えたいこと
――お勤めされているのは、どういう会社でしょうか。
川原渓青さん(以下、「かわけい」) 障がい者雇用のサービスをしている会社で、僕は広報担当です。会社のYouTubeチャンネルにMCとして出演して、障がいのある方や障がい者関連のサービスをしている会社にインタビューしに行ってます。
――障がい者雇用の会社で仕事をする上で大事にしていることはありますか?
かわけい 障がいがあるからといって、できないと決めつけないっていうこと。挑戦してみてダメだから「やめときな」というなら分かるんですけど、まだやってもないことを「できない」と抑えつけるのは良くない。障がいのある人と接するときはそこに気をつけてます。
――かわけいさんでもハッとする発見はありますか?
かわけい たくさんあります。車いすラグビーの方に「健常者の方に配慮してほしいことがあったら教えてください」と聞いたら「できることを奪わないでほしい」って。ただでさえ障がいを負ってできないことがいっぱいあるんだから、できることは自分たちでやりたいと。
――障がいのある方に接するときは、そういう気持ちを持ってほしいと。
かわけい というか、多分みんな一人の人間として見てほしいんだと思いますね。普通の人だったら、できることは自分で何でもやるのが当たり前じゃないですか。
僕はパラ水泳を始める前からちょっとずつトレーニングを始めてたんですけど、その理由は「友だちと飲みに行って、酔っ払って、自分で歩きたいから」。もし自分が酔っ払ってこけたら危ないってなったら、みんなと昔みたいに飲めなくなる。それが嫌なんです。友だちに心配してほしくない。一人の人間として一緒につるんでたい。これからもずっと、いくつになっても、自分で自分の体を支えられるくらいでいたいと思いますね。

