現在、動画クリエイター、モデル、会社員と様々な顔を持つ川原渓青(通称KawaK:かわけい)さん(28)は、競泳選手でもあった大学時代、バイク事故によるけがで右膝下を失った。手術から半年足らずでパラ競泳を開始、日本記録を更新。競技引退後は、義足を1つのツールとして、さまざまな形で自分自身を表現している。そんなKawaKさんに3回にわたりインタビューした。第2回はパラ競泳をコロナ禍を機に引退し、動画クリエイターやモデルに転向したお話をうかがった。(全3回の2本目)
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東京パラへの情熱が冷めた瞬間
――パラ水泳で日本記録も更新して、東京パラリンピックを目指していたけれど、コロナ禍をきっかけに辞めることにしたそうですね。
川原渓青さん(以下、「かわけい」) それまでめちゃくちゃがんばって「東京パラしか見えてない」ってくらい練習してたんですけど。コロナ禍になって。大学では練習できなかったので実家に帰って、近くのジムで泳いで……それから半年以上経って、やっとみんなと合流し、改めてレースに出ようとスタート位置に立ったとき、会場にはコーチと選手しかいなかった。
改めて考えたら、水泳の何が楽しかったかというと、試合で周りの観客を沸かせることだったんです。そこに多分、楽しさを感じていたからこそ、そんな状況の会場を見た瞬間に、冷めてしまった。そこから「何のために練習しているのか」すごく疑問になって、だんだん練習への意欲もわかなくなって。
――勿体無い気もしますが。
かわけい まだまだいけるって言われてたんですけどね。それくらいのタイミングでTikTokを始めたんです。大学の後輩が「義足ですごいバズってる人いたよ」と教えてくれたのを見たら「この人でバズれるんだったら俺いける!」って直感が働いて(笑)、すぐにその日から始めて。
「義足の生活を知ってもらうために」TikTokの可能性
――パラ競泳への情熱を、TikTokにスイッチした感じでしょうか。
かわけい それもあるかもしれないけれど、自分が義足になるまで義足の人を一度も見たことがなかったから、というのが大きいですね。入院中、義足になってこれからどんな生活ができるのか不安でした。7年前ってYouTubeで「義足」って検索しても、リハビリしてるおじいちゃんおばあちゃんの映像しか出てこなかった。僕たちが見たいのは、リハビリした後の生活の部分なのに。
だからこそ、もっと義足の生活を知ってもらおうと思って、パラ水泳にチャレンジしたんですけど、パラ水泳の試合を見るのって障がいに関わりのある人ばかり。家族、選手、コーチぐらいしか見に来ない。
これじゃダメだなと思ってたときに、TikTokが伸びて。「もしかしたら義足のモデルっていう道もありなのかな」と思って。そこが転換点というか。自分の弱み、「隠してきた部分」がむしろ強みになると思って。

