“娘”として育てていた我が子・光さん(仮名)から「男の子として学校に行きたい」と打ち明けられた小児外科医の松永正訓さん。もうすぐ中学校入学を控える光さんにとって、どんな制服を着て学校に通うかは、避けられない大きな問題だったのだ。

 中学校と連絡を取り合い、我が子を男性として扱ってもらえるよう交渉した松永さん。学校側は受け入れることを了承し、ついに念願の学ランが届く。しかし性別違和を抱えての学校生活は、壁にぶつかることも多く、父の心配は尽きなかった――。

 ここでは、松永さんと光さんが家族で性別違和と向き合った日々を綴り合った『性別違和に生まれて 父と子で綴った23年』(中央公論新社)より一部を抜粋してお届けする。(全3回の2回目/最初から読む)

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入学式で校長が公表した我が子の特性

 光の中学校生活が始まった。自宅から最寄りのJRの駅まで妻が車で送って行く。光は電車に乗ってJR千葉駅まで行く。乗り換えて、学校最寄りの駅まで行く。そこからバスに乗る。バスは学校の近くに停まる。自宅から学校まで1時間弱だ。

 入学式で校長先生が、1年1組の光が性別違和という特性を持っていることを説明した。身体と心が一致していない子という説明だった。あとになって分かるが、入学式に参加した保護者たちはこのことをよく覚えていたようだ。妻が保護者会で学校に行ったとき、保護者たちは誰も妻に話しかけてこなかったからだ。どう声をかけたらいいか分からなかったのだろう。

画像はイメージ ©AFLO

 光は新しい教室に足を踏み入れた。だが、クラスメートたちは何の反応も示さなかった。それはそうだろう。つい、この間までは小学生だった子どもたちだ。性別違和の子を受け入れようと言われても理解が追いつかないだろう。

 光は、性別違和を学校が公表することに対していい気分ではなかった。しかし、これだけ学校側に配慮してもらったのだから、何か問題が発生したときのために公表しておくのは仕方ないという気持ちだった。光が望むことは、「トランスジェンダー男子として」ではなく、「完全な男子として」周囲に受け入れられることだった。身体も心も女だとは思われたくなかった。徐々に分かっていくが、生徒の中には「この学校に性別違和の子がいる」という学校からの説明を覚えている子もいたし、完全に忘れてしまった子もいた。

 光は男の子として中学校生活を始めた。私は入学記念にMacBook(アップル社のノートパソコン)と液晶タブレット、クリップスタジオというイラスト作成ソフトを買い与えた。MacBookの使い方を説明しようと思っているうちに、光はどんどん独学でイラストを描き始めていた。