「私は、誰からも必要とされていないのかもしれない――」

 大学時代、アナウンサーを目指して約100社もの採用試験に挑むも、一社も内定を得られなかったという関森ありささん。魅力に溢れたライバルたちの中で輝くため、「自分だけの武器」が欲しくて始めた人力車夫の仕事が、彼女の人生を大きく変えた。

 それから9年が経った現在も関森さんは人力車夫の仕事を続け、ラジオDJとの異色のダブルワークも話題を呼んでいる。昨年はなんと『踊る!さんま御殿!!』にも出演。数々の挫折を乗り越え、自分だけの居場所を見つけるまでの道のりを、ライターの佐藤ちひろさんが詳しく伺った。

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人力車夫の仕事中の関森さん。時には人力車とお客さん合わせて200キロ以上を引くこともあるという 本人提供

手応えを感じた面接の帰り、新幹線で届いた「お祈りメール」

「伝える仕事って素敵だな」。関森さんがアナウンサーに憧れを抱いたのは、中学生の時に生徒会長を務めた経験がきっかけだった。就職活動の時期になると、その夢を叶えるためアナウンススクールに通い、一人カラオケボックスで滑舌の練習を繰り返した。「努力だけは誰にも負けたくない」という思いで日々面接対策に励んだ。

 受けた企業は約100社。北海道から沖縄までエントリーシートを送り、面接のために各地に移動した。交通費やスクール費用など、就活にかかった費用は150万円にものぼったという。アルバイトで貯めたお金を注ぎ込んだ。しかし、結果は不採用の連続。

「同じアナウンススクールには、綺麗で高学歴、語学も堪能な方がたくさんいました。次々と内定を獲得していく姿を見て、『私は何を武器に戦えばいいんだろう』と何度も考えました」

 大学4年生の冬、「これが最後かもしれない」と臨んだ東北の放送局の最終面接。自分なりに手応えを感じ、期待を胸に帰りの新幹線に乗っていた時、スマートフォンにメールが届いた。画面に表示されたのは「今後のご活躍をお祈り申し上げます」という非情な一文だった。

「その瞬間、頭の中が真っ白になってしまって……。ずっと頑張ってきたものが、一気に崩れてしまったような気がして、人目も気にせず新幹線の中で大泣きしてしまいました」

 お祈りメールが届くたび、関森さんは「私は誰からも必要とされていないんじゃないか」と劣等感を抱き、暗いトンネルの中にいるような感覚に苛まれた。結局、内定を得られないまま大学を卒業することになる。

就職活動時代の関森さん。北海道から沖縄まで全国100社のアナウンサー試験に落ちてしまったという 本人提供

「あなたを教えるのはお手上げ」挫折から始まった人力車夫の道

「自分には何も取り柄がない」落ち込んだ関森さんにアナウンススクールの先生がかけた言葉が、転機の始まりだった。

「人力車の車夫をやってみたらどうかな」

 その言葉をきっかけに浅草で人力車夫のアルバイトを始めた。当初は「エントリーシートに書ける経験にもなるし」と、自分の武器を見つけたい気持ちも大きかったという。しかし、もともと運動が苦手で体力にも自信がなかった関森さんにとって、その道は決して平坦ではなかった。

 研修中には、店長を乗せたまま人力車から手を離してしまい、180万円もする車体を壊すといった大失敗を経験する。そして、会社からは「あなたを教えるのはもうお手上げだ」とまで言われてしまったのだ――。

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 続く記事では、「お手上げ」と言われてしまった関森さんが、ついに人力車夫としてデビューするまでの過酷な道のり、『踊る!さんま御殿!!』に出演が決まったまさかの経緯などを詳しくまとめています。ぜひ、合わせてお読みください。

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