「私は、誰からも必要とされていないのかもしれない――」
大学時代、アナウンサーを目指して約100社もの採用試験に挑みながら、一社も内定を得られないまま卒業を迎えた関森ありささん。手応えを感じていた地方局の最終面接でも、帰りの新幹線の中でお祈りメールが届き、人目もはばからず大泣きしてしまったこともあった。
あれから約9年。現在は人力車車夫とラジオDJという異色のダブルワークを続け、昨年は『踊る!さんま御殿!!』にも出演。浅草の人力車業界では女性初の店長として後輩の育成にも携わっている。
数々の挫折を乗り越え、自分だけの居場所を見つけた関森さんのこれまでの歩みを聞いた。(全4回の1回目)
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「伝える仕事」に憧れて
ーー現在は人力車車夫やラジオDJとして、いずれも高いトーク力が求められるお仕事をされています。子どもの頃から、明るく活発なタイプだったのでしょうか。
関森ありささん(以下、関森) 全然そんなことはなく、一人っ子だったこともあり、むしろ人見知りで友達付き合いも得意な方ではありませんでした。母がピアノ教室を開いていたので、いつも家でピアノを弾いているような、本当におとなしい子どもだったと思います。
ーー現在の関森さんからは、とても想像もつきませんね。人見知りだった関森さんが、人前で話すことへの苦手意識を乗り越えられたきっかけは何だったのでしょうか。
関森 実は、中学生の頃に周囲から推薦していただき、生徒会長を務めていたんです。その経験を通して人前で話す機会が増え、「伝える仕事って素敵だな」と感じるようになりました。
ーーその経験をきっかけに、「伝える仕事」への思いが芽生えたのですね。
関森 そうですね。昔からテレビを見ることが好きで、中学生の頃から画面の向こうで活躍するアナウンサーの方々に憧れていました。
ただ、先ほどもお話ししたように人見知りだったこともあり、「身の程知らずかもしれない」「自分には向いていない世界だろうな」と思い込み、周囲に夢を打ち明けることはできなかったんです。それでも就職活動が始まり、「自分は本当に何がしたいんだろう」と考えた時、テレビ局の説明会へ足を運ぶ機会がありました。
実際に説明会でアナウンサーの方々のお話を聞くと、皆さんが本当にキラキラしていて、仕事について語る姿もとても魅力的で、「私もアナウンサーになりたい!」という思いが強くなりました。

