100社にエントリー、受験費用は150万円
ーーそれだけ何度も挑戦を続けられたことにも驚きました。当時は、全部で何社ほど受験されたのでしょうか。
関森 エントリーシートも含めると、北海道から沖縄まで100社ほどだったと思います。
アナウンサー試験は、最終選考になると現地へ行かなければならないことも多く、朝は宮城県、夜には香川県へ向かうなど、本当に全国を飛び回っていました。
ーー北海道から沖縄まで飛び回っていたと伺うと、その覚悟が伝わってきます。精神的な面だけでなく、金銭的な負担も大きかったのではないでしょうか。
関森 飛行機代や新幹線代、アナウンススクールの費用、面接用の洋服代などを合わせると、150万円くらいはかかっていたと思います。
学生時代からマクドナルドで3年間働き、コールセンターやクレジットカードの受付窓口でもアルバイトをしていました。就活の費用を親に頼ってしまうと甘えてしまいそうで、「自分で働いて、自分で夢を叶えたい」と決めていたんです。
「私は誰からも必要とされていないんじゃないか」
ーーそこまで努力を重ねても結果が出ない中で、「もう無理かもしれない」と思った瞬間はありましたか。
関森 同じアナウンススクールの子たちが次々と内定をもらう中、私だけが内定ゼロのまま迎えた大学4年生の冬でした。「これが最後かもしれない」と思いながら受けた東北の放送局の最終面接では、自分なりに手応えを感じていたんです。
帰りの新幹線に乗っている時、スマホにメールの通知が届きました。「もしかしたら……」という期待を胸に画面を開くと、「今後のご活躍をお祈り申し上げます」という一文が目に飛び込んできました。その瞬間、頭の中が真っ白になってしまって……。ずっと頑張ってきたものが、一気に崩れてしまったような気がして、人目も気にせず新幹線の中で大泣きしてしまいました。
ーーそこまで努力を重ねてきたからこそ、その結果は本当に苦しかったのでしょうね。
関森 アナウンサー試験は、その日のうちに合否の連絡が来ることが多かったんです。100社近く受け、お祈りメールが届くたびに、「私は誰からも必要とされていないんじゃないか」と、劣等感を抱くこともありました。
筆記試験なら間違えた箇所が分かりますが、面接は自分に何が足りなかったのか、何が正解だったのかが分かりません。まるで暗くて長いトンネルから抜け出せないような感覚でした。
周りと比べては劣等感を抱き、人生で一番と言っていいほど精神的にも追い詰められていました。結局、私だけ内定が決まらないまま大学を卒業することになったんです。

