「私は、誰からも必要とされていないのかもしれない――」

 大学時代、アナウンサーを目指して約100社もの採用試験に挑みながら、一社も内定を得られないまま卒業を迎えた関森ありささん。手応えを感じていた地方局の最終面接でも、帰りの新幹線の中でお祈りメールが届き、人目もはばからず大泣きしてしまったこともあった。

 あれから約9年。現在は人力車車夫とラジオDJという異色のダブルワークを続け、昨年には『踊る!さんま御殿!!』にも出演。浅草の人力車業界では女性初の店長として後輩の育成にも携わっている。

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 数々の挫折を乗り越え、自分だけの居場所を見つけた関森さんのこれまでの歩みを聞いた。(全4回の3回目/最初から読む

関森ありささん ©佐藤亘/文藝春秋

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女性初の店長として

ーー最初はアナウンサーになるために「エントリーシートにも書ける」と始めた人力車車夫の仕事を9年続けていらっしゃいます。昨年は店長にも就任されました。立場が変わって難しさを感じることもあったのでしょうか。

関森ありささん(以下、関森) 人力車業界は男性が多い世界ですし、浅草では初めての女性店長だったので、最初は手探りでした。特に難しかったのは人材育成です。ガイドやコースなど覚えることも多く、研修期間も長いので、一人ひとりと真剣に向き合う必要があります。

ーー初めて後輩を育てる立場になって、ご自身も悩まれたことがあったのですね。

関森 初めて新人の育成を任された時、約2か月間マンツーマンで研修をしてきた後輩がいたんです。

人力車夫の仕事中の関森さん 本人提供

「もうすぐデビューできるね」と話していた矢先、その子から突然「辞めます」と言われてしまったことがあり……。自分の教え方の何がいけなかったんだろう、と本当に悩みました。

ーー店長として育成を任されたからこそ、なおさらつらい出来事でしたね。そこから、どのように気持ちを切り替えていったのでしょうか。