最大の問題は、我が国への引渡しについてレバノン政府内でコンセンサスが形成されていないことだった。

 レバノンには、18の宗派が存在し、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はイスラム教シーア派というように各宗派に政治権力が分配されてきた。また、隣国シリアは、1990年のレバノン内戦終結後も推定約1万4000人の軍部隊を駐留させ、実質的にレバノンを支配してきた。

「アラブの大義」の体現者

 当時のハリーリ首相は、内戦終結後の経済の復興を目指し、我が国との経済関係を重視しており、それが5人の身柄拘束に繋がった。同首相は2005年に暗殺されてしまうのだが、その背後にもシリアの影響力があると言われた。

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 こうした事実から推測できるように、レバノン政府内の親シリア勢力及び駐レバノンシリア軍事情報部長ガジカナーン(当時)は、当初、米国の同盟国である我が国に「レバノン5」を移送することに反対していた。我々のレバノン滞在中に、NHKが「レバノン5」がシリアへ移送されると報じたこともあるが、それも親シリア勢力の意向を踏まえたものなのだろう。

 その意味で、当時の橋本龍太郎内閣が、3月2日から5日にかけて、かつて杉田警備局長と在フランス大使館で外政班長として机を並べていた平林博内閣外政審議室長(後に在フランス特命全権大使)をレバノン及びシリアに派遣し、「レバノン5」の我が国への引渡しについて外交的レバレッジを効かせたことは、その後の展開にとって有効だった。

 日本赤軍は、1975年の「クアラルンプール事件」で在マレーシア米国大使館を占拠したほか、岡本が「ロッド空港乱射事件」で死傷させた被害者の約8割が米国自治領のプエルトリコから巡礼目的で訪れていた米国籍者だという経緯があり、米国は、「レバノン5」に厳しい姿勢で臨んできた。

岡本公三容疑者(2024年) ©dpa/時事通信フォト

 また、日米両国はレバノンにテロリストを引き渡すよう圧力をかける一方、テロリストへの庇護を止めれば経済協力の用意があるという「アメとムチ」の姿勢で臨んできた。

「レバノン5」の身柄拘束の背景には、それまで圧倒的な影響力を行使していたシリアが、レバノンの経済協力獲得に向けた方針転換を一定程度容認した事情も考えられる。しかしながら、シリアには、もう一つの明確な意思があった。それは即ち、イスラエルの空港を攻撃して「アラブの大義」の体現者となった岡本は他の4人とは別格であり、絶対に守らなければならない――というものだ。米国と対立するシリアにとって、米国の圧力に全面的に屈する形で「アラブの大義」を曲げることは困難に思えた。

 日本では、レバノンが「自国の法律に違反する容疑が固まり次第、国外追放の形をとる」などと、「5人」が「速やかに」に引き渡されるかのように報道されていたが、ベイルート逗留1カ月になろうとしても、私の見通しは厳しかった。

 身柄引渡し交渉の相手であるアドゥーム検事総長に対し、「アラブの大義を重視する貴国の立場は尊重する」と、ぎりぎりの意思表示をした。

 それでも即時の国外追放には至らず、5人はレバノンにおいて裁判にかけられることになった。引渡しが実現するのは服役期間が終わる3年後、2000年3月のことである。

 そして、「アラブの大義」の体現者、岡本の引渡しは実現することはなかった。

※この続きでは、岡本容疑者の身柄引き渡し交渉から学んだ教訓が語られています。約1万字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』に掲載されているほか、連載「外事警察秘録」全13回を一気読みできます(北村滋「日本赤軍との戦い」)。

文藝春秋

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