1951年(昭和26年)、千葉県の断崖「おせんころがし」で、母親が強姦・殺害され、幼い子ども2人が崖下へ投げ落とされた。犯人・栗田源蔵は、この事件を含め合計8人を殺害した凶悪犯であり、一審だけで2度の死刑判決を受けている。この「日本最悪の殺人鬼」はいかにして生まれたのか。

奉公先の老人のある言葉

 栗田は1926年(大正15年)、秋田県の極貧家庭に12人兄弟の三男として生まれた。病弱で寝たきりの父に代わり母が家計を支え、栗田はろくに教育も受けられないまま育った。

 幼いころから夜尿症を患い、小学校でもアンモニア臭を原因にいじめを受け、3年で中退。農家への奉公に出されても夜尿症と盗癖を理由に追い出され、1年間に10回以上も奉公先を転々とした。そのころ、老人男性から「女と寝るときは叩いたり、絞めたりすると、とてもいいぞ」と言われた言葉が耳にこびりついたという。

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写真はイメージ ©getty

 太平洋戦争末期に徴兵されるも、またも夜尿症でわずか2ヶ月で除隊。自尊心をずたずたにされたまま北海道の美唄炭鉱へ渡り、過酷な労働に耐えるうちに屈強な体と凶暴な性格を手に入れた。

 やがてヤミ米ブローカー集団「総武グループ」のリーダーとなり、「ハヤブサの源」と異名をとるまでになった栗田が最初に手をかけたのは、結婚を約束した婚約相手だった。三角関係のもつれの末、22歳のとき静岡県の海岸で婚約相手を殺害。そして男の凶行は8人殺害の大事件へとつながっていく。

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